ということで以下の7項目。訳してみた。
A 最初はリビドーと攻撃性は一緒になっているという。だから口唇期の最初の吸い付き段階 sucking stage
でそれは見られたという。ここに関わる感情は強烈だ。例えばそれはグリード(貪欲さ)であり、不安であるという。
B 対象は部分対象であり、その典型は母の乳房である。(哺乳瓶、という場合もあるかもしれないなあ。ミルクの出が悪い哺乳瓶は、「悪い哺乳瓶」とか …)
C この部分対象は最初から、良い、と悪いに分かれる。それはもともとおっぱいそのものの「良い」「悪い」があるからだが、それと同時に子供も愛と憎しみを投影するからだ。
D このように分かれた良い対象と悪い対象は、互いに比較的独立した関係を有し、それぞれが個別に投影や取入れの対象となる。
E 良い対象は理想化される。それを取り入れることで、乳児は迫害不安を防衛できる。悪い対象はその逆で、恐ろしい迫害者である。それを取り入れることで乳児は、内因性の破壊の恐れを体験する。
F 自我は、この未統合ゆえに、不安への耐性がきわめてわずかしかない。防衛の手段として、分裂や理想化以外に否認を用い、それにより迫害対象からすべての現実や、対象への全能的なコントロールを奪おうとする。
G これらの最初に取り入れられた対象が超自我の中核を形成する。
とにかくパラノイアとは、クラインの理論では、自分が持っている破壊性、死の本能に由来するということになる。これはもう問答無用といえるだろう。そういう世界観であり、この前提から始まるのだ。私はパラノイアの起点は愛されなかった恨みと考えたい。こちらはむしろ性善説だ。もちろんすべてのケースにそれが言えるとは考えない。ただしこの性善説と性悪説、実はあまり結果的に変わらないことになる。というのは愛されなかったという体験は、かなり主観的なものだからだ。親が子供を愛していたつもりでも子供がそれを受け取らなかったら、子供の怒りはあたかもプライマリーなものとなるとは言えないだろうか。ここに加害者なきトラウマといういつものテーマが浮かび上がってくるのだ。