2017年12月21日木曜日

パラノイア 推敲 1

私に与えられたテーマは「パラノイド」であるが、これはパラノイアの形容詞である。パラノイアには様々な日本語訳があるが、一応被害妄想、として話を進めたい。パラノイアは至る所で見られる。勿論有名なフロイトのケース「シュレーバー」のような、よく知られたパラノイアのケースもある。しかし実は私たちがかなり頻繁にプチ・パラノイアを経験している。明らかな妄想を帯びたパラノイアは魂を消耗するが、過剰に警戒するのはむしろ事故や予想外の出来事を未然に防ぐためには欠かせないプロセスであったりする。最近新幹線の台車に生じた亀裂が話題になったが、これまで重大事故が起きなかった新幹線の整備の仕方は、それこそ整備の際のレンチの置き場所まで細かく規定されている。(テレビでやってた。)「石橋をたたいても渡らない」ほどの注意深さや警戒心が最終的に安全につながるとしたら、パラノイド傾向は適応的であるとも言えよう。疑い深さという性格傾向が人に受け継がれていき、決して淘汰されないとしたら、それは疑い深い人がそれだけ生存率が高いということだろう。草をはむガゼルを思えばわかるとおり、粗忽で不注意な個体はあっという間にチータの餌食になり、子孫を残せないのだ。あるいは国と国の間を考えよう。両国の間に浮かぶ小さな島の領有権が、国と国との紛争になるのである。そこ際にパラノイド傾向を発揮しない国など聞いたことがない。
これに関して思考実験をしてみる。ある部族なり集団があるテリトリーを守っている。そこは地形によりかなり明確に他の集団とはテリトリーが分かれているとしよう。たとえばある小川のこちら側がA族。向こう側がB族。ところがB族とみられる人間が川を渡ってこちらにやってきて何かを物色しているとする。明らかに外部からの侵入である。そのようなときにA族が「ま、いいか。気にしないことにしよう。」と気にしないなどあり得るだろうか? たちまちA族の主だった人間は対策を考える。(私はそのようなときは「まあ、いいんじゃないの?」と言い出して、「とんでもない!」と皆に言い負かされるタイプである。)A族の主流の意見は、必ず「放っておいたらこちらが侵食されてしまう。早いうちに食い止めておかないと。」これがいかなるときも正解なのだ。動物界を見ればこちらが絶対に優勢になることは間違いない。なぜなら縄張り意識が強く、被害的な考え方を持つ個体こそが生き残ってきているからである。私のようないい加減な人間は、あるいは部族はあっという間に淘汰されてしまうはずだ。だから現在生き残っている個体は押しなべて、相対的に利己的で被害的になりやすく、また好色(子孫繁栄に励む!)なのである。「被害的」であることが、他者からの侵入の可能性を過大評価して自己防衛、他者の排斥に走りやすい傾向であるとしたら、それこそが生命体が生き残るための最も大事な要素の一つと考えていいだろう。なんか同じこと繰り返して言っているな。どこが「推敲」なのだろう。