関係精神分析の本質とは何か?
RPは物事の本質を見出す姿勢そのものに懐疑的である。したがってRPの本質を議論すること自体が矛盾する試みと言えるため、そこで論者たちが有する共通理解について述べるにとどめたい。関係精神分析の本質は、臨床場面で患者と治療者の間に生じる治療者と患者の二者関係、ないしは二方向性を重視する立場である。治療関係において生じるのは、結局は二人の人間の間のやり取りであり、当然のことながら両者は互いに影響を及ぼし合うことになる。RPはそれを前提として精神分析の理論を組み立てるという立場を取る。フロイトの示した古典的な精神分析モデルは、治療者は患者の自由連想に耳を傾け、その無意識的な欲動を解釈することを治療の本質として捉えていた。それは観察するものとされるもの、知るものと知らざる者、治すものと直されるものと一方向性を確かに有していた。しかし実際には治療者は客観的な観察者にとどまることはできない。その言動や振舞いは患者の自由連想に反映され、またその連想内容は翻って治療者に影響を与える。関係精神分析において強調される二者性は、治療者と患者は各瞬間に影響を及ぼしあっているという現実を指し示しているのである。
「精神分析理論の展開」に置けるそのような立場を、GreenbergとMitchellは、フロイト的な欲動論的立場に対するアンチテーゼとして位置づけた。しかし同様の主張は米国において1970年代より複数の分析家によりなされている。それが古典的な視点に立ったいわゆる一者心理学とは異なる、二者心理(5)の立場である。精神分析を患者との相互的なかかわりの中で創造される過程として捉える関係精神分析は、その理論的な系譜としては、いわばこの二者心理学の発展形と言える。
このような関係精神分析の立場はまた、いわゆる社会構築主義のそれとも多くの点で重なり、現代的な人間の知のパラダイムの展開、とりわけポストモダニズムの影響を大きく受けている。しかし関係精神分析は単に一つの理論的な立場には留まらない。その人間観や背後に流れるヒューマニズムにこそ大きな特徴がある。以下に述べるとおり、それは患者の立場の重視、ひいては人間性の尊重という姿勢に貫かれているのだ。そこで強調されるのは、精神分析療法を実践する上で最も生産的なのは、治療技法を超えた治療者と患者との出会いの体験であり、関係精神分析はそれに理論的な根拠を与えてくれるからである。
古典理論から関係精神分析への橋渡しとしての対象関係論
関係精神分析がフロイトの欲論的な考えに対するアンチテーゼとして出発した経緯については既に触れたが、同様の主張をいち早く行ったのは英国に端を発した対象関係論であった。フロイトは基本的には理科系の人間であり、人間の精神を機械論的ないしは本能論的な視点から捉え、対象とのかかわりも結局はリビドーの満足を目指したものであるとみなす傾向があった。彼は何よりも科学者として、精神分析を一つの学問体系に仕上げることに懸命であった。その場合必然的に治療とは一種の実験的な色彩を伴い、患者はその実験の対象であった。もちろんフロイトはヒューマニスティックな側面も併せ持ち、精神分析を人類の発展に役立てたいとは思っていたが、患者と主観的、情緒的にかかわるという志向性は薄かった。彼にとって治療とは患者の欲動の処理に伴う病理に対処するものとされ、その意味で典型的な一者心理学といえた。
英国においてIan Suttie やMelanie Klein, Ronald Fairbairn らにより始まった英国対象関係論の中心的な視点は、「対象にかかわろうとする主体の欲求が中心的立場を占める」(24)ことであり、その点でフロイトのこの欲動論的な立場と一線を画しものであった。
ただしそれとは別に、フロイト自身の理論形成の中に対象関係論的な視点が芽生えていたことは、フロイトの理論をわが国に導入することに貢献した小此木啓吾が繰り返して強調していた。フロイトのその側面はMelanie Kleinに受け継がれ、FairbairnやHarry Gntrip等に多大な影響を与えたのであった(23)。小此木によれば、フロイトの精神分析的な認識の根源は「心的現実性」であり、それに基づいた超自我形成論こそ、フロイトにおける対象関係論の出発点であった。例えばエディプス・コンプレックスをめぐって生じる心的機序を考えれば、父母への同一化と、それにより内在化された父母像が超自我となると説明された。さらには超自我の過酷さも、子供が持つ内的な破壊性(死の本能)の投影されたものであるとする。そして「悲哀とメランコリー」(2)に見られる内的対象の議論もまた対象関係論の萌芽となった。
サリバンと対人関係学派
先に述べたGrennberg と Mitchellは対人関係学派の拠点ともいえるニューヨークのホワイト研究所(William Alanson White
Institute)の出身である。関係精神分析が生まれる切っ掛けとなった「精神分析理論の展開」が、彼らがホワイト研究所で用いていた教材から生まれたという経緯を考えると、関係精神分析の萌芽は対人関係学派にあり、その源流はHarry Stuck Sullivanその人にあったとも言えよう。
Sullivanサリバンは米国で統合失調症との治療的なかかわりを通して独自の理論や治療観を生みだす一方では、当時のドイツ精神医学のクレペリンEmil Kraepelinに見られる理論的、科学主義的な姿勢を批判した。Sullivanサリバンはフロイトからも大きな影響を受けたが、同時にその中にクレペリンに見られる科学主義を感じ取り、それに対する疑義を持っていたことが伺える。
後に関係精神分析に継承される形で再評価されることとなったサリバン派の理論が、アメリカの精神分析では長い間亜流に位置づけられていたこととは特筆に値する。サリバン派は在野にあるものにのみ許される理論的な自由度や独自の主張を獲得していたのである。Sullivanは正式な精神分析のトレーングを経ることなく、それだけその伝統に縛られることも少なかった。そして不安を基にした独自の精神病理を考え出すとともに、現実の患者との生きたかかわりを強調し、「関与しながらの観察participant observation」という言葉を残した(26)。彼が主として扱った患者が統合失調症の患者であったことも、その理論形成や治療観に深い影響を及ぼしていたと考えられる。
Sullivan自身はClara Thompsonを通じて精神分析理論から学ぼうとする姿勢を保ち、精神分析学会との関係をむしろ望んだとされる。彼らは実に9年間ほど、彼らのホワイト研究所における研修がアメリカ精神分析協会に認可されるべくアプローチを続けたというが、結局受け入れられなかったと言われる(28)。結局ごく最近になり、ホワイト研究所は米国精神分析協会から正式な認可を受けたという経緯がある。