2017年12月31日日曜日

パラノイア 推敲 5

フロイト理論の持つパラノイド心性

 ということでクライン理論にはあまりヒントが得られない以上、一歩遡りフロイトにその折人を求めてみよう。そこで私たちはいかにフロイトがパラノイド心性を持っていたかがわかる。フロイトはきわめて自己愛的な人生を送ったというのが、私のいつもの考えであるが、ふと考えてみると、彼は相当パラノイドであった。ここに「自己愛とパラノイアは表裏一体である」という私の定式化(大げさだ!)が成り立つのだ。フロイトの自己愛的なところを思い出そう。フロイトは「かまって、かまって」タイプだった。相手には自分の説を全面的に認めて欲しかった。しかしそれは相手が自分から離反するのではないか、という恐れとない交ぜになっていた。フロイトはたとえばユングから殺されるのではないか、と恐れた。ユングは自分の座を奪うのではないか、と思ったのだ。別にユングがフロイトの説に関心を示さないのであれば、それでいいではないか。ユングはユングの道を歩んでいくのだ。ほっとけばいい。ところがフロイトは一歩も二歩も進んで、ユングが自分を追い落とす、と考えた。まるで自分の座は唯一絶対のものであり、ユングが自分の説を進めることが、フロイト自身の占めている座を奪うことと同じことのように考えている。相手の離反は、自分を殺すことと同じ、とはどういうことか。
こう考えていくと、フロイトがなぜエディプス・コンプレックスにこだわったかも少し判る気がする。息子が父に敵意を持つのはあることだが、彼の場合「父親殺し」へと発展した。それはフロイトが実際に、父ヤコブが死んだ後に、父親を殺したい衝動を持っていたことを自覚したからだろうか? しかしこう考えると逆に問いたくなる。父親を殺すことを抑圧された願望として持ち続ける息子などどれほどいるのだろうか? フロイトが仮にそのようなものを自分の中に見つけ、それを普遍化してエディプス・コンプレックスと名づけたとしても、いったい同様の人がどれほどいるのか? あるいはフロイトは本当にそのようなものの存在を信じていたのだろうか?彼自身がそれをドラマタイズしたのではないか? しかしそう考えると不自然なことが多い。それは彼が弟子たちに対して示したパラノイアから明らかだ。
フロイトの猜疑的な面はおそらく若い頃からあったらしい。マルタさんと婚約している間は、婚約者に近づく可能性のある男性に激しい嫉妬を燃やしたという。彼にとっては、人と接近することは後に離反した際に激しい敵対関係に入ることを意味していた。ブロイアーと類催眠説をめぐる意見の違いから分かれた後、フロイトはウィーンの道で彼にであっても無視したという。あれだけ資金を援助してもらった恩人にしてそのような程度を示すのはなんと恩知らずなのだろう。フリースと分かれた後に、フロイトはすぐに彼からの手紙を焼き捨ててしまったことが知られている(他方ではフリースはフロイトからの書簡を大事に取っていたので、後にそれが書簡集として全面的に公表されたわけである)。そしてユングに対する敵対心や、ユングから追い落とされる恐怖。またフロイトは自分の息子たちが医師になることを禁じたという。彼らの「父親殺し」を恐れたからであろう。フロイトにとって、自分の説を相手が全面的に受け入れないことは、相手が自分を攻撃していることと同義だったらしい。そして当然ながら自分も敵意を受ける。しかし彼はその敵意をこう正当化したはずだ。「彼が父親殺しの願望を持つからだ。」 フロイトはユングからの父親殺しの願望をかなり強烈に感じたらしい。それが例の失神のエピソードにつながる。
フロイトにとっては自分から相手に向かう敵意は、容易に反転したようだ。ユングの場合にも最初はどちらからどちらに敵意が向いたかは分からない。しかしエディプス理論に異を唱える弟子に対して自分から向いた可能性がある。そして容易に反転して、パラノイアが生じる。そしてそれはまさに、シュレーバー症例を通してフロイトが示した有名な定式化に示されている。
迫害妄想:私は彼を愛さない → 私は彼を憎む 
     → 彼は私を憎む」(投影)
これがフロイトの心で起きていたことの反映だとするとどうなるか。
彼は私のリビドー論を信じない → 私は彼を憎む
    → 彼は私を殺そうとしている

そしていわゆるPIはまさにこのプロセスということが出来るだろう。