2017年11月3日金曜日

ローゼンフェルドの自己愛理論 ③


 まずはローゼンフェルドとはどのような人物なのかについて御紹介します。
1909年ドイツ出身。フロイトより半世紀遅れてこの世に生を受けました。ビヨン、シーガルと並んで,第二次世界大戦以後のクライン学派のもっとも重要な後継者の一人とされています。
すでにドイツで小児の情緒障害についての論文で医学博士を取っていましたが、ユダヤ人の医師は患者と接触してはいけない、というヒトラーのお達しがあり、医業を続けることができずに、1935年に英国に亡命する。ローゼンフェルドが26歳ということになります。そして英国に留まるために、後にタビストックの、精神療法家のための2年コースのプログラムに入り、またオックスフォード近くの精神病院に、そして後にモーズレーで職を見つけたわけです。この病院は典型的なアンシュタルト、350人の患者に医者三人、といったい感じでした。後に精神科医となり、1940年代に慢性統合失調症の患者に対する精神療法的なアプローチに強い関心を抱くようになった。精神医学でも何でも、初期値効果というものがあります。最初に何に出会ったかが、ある種の決定的な影響を与えます。彼が最初に出会ったのは、カタトニーの患者だったわけです。つまり統合失調症の患者さんだったわけですが、当時はフロイトがそれを自己愛神経症と呼んでいたこともあり、ローゼンフェルドはいきなり自己愛の病理を扱う運命となったわけです。しかしもちろんこの自己愛は、自己チュウ他人を搾取する自己愛ではありません。この出発点ですでにいわゆる自己愛とはズレていたわけです。