2017年11月2日木曜日

ローゼンフェルドの自己愛理論 ②


 日本語になっているのは、この「治療の行き詰まりと解釈」という本(誠信書房、2001年 、神田橋 條治 直彦後藤 素規先生訳)ですが、定価4800円で入手可能です。 結局これを読むことで感じるのは、彼らが言っている自己愛とは、一般的、あるいはDSM 的、カンバーグやコフートが言っているような自己愛とはかなりニュアンスが違うということです。というのはその概念の由来が違い、特にローゼンフェルトの自己愛の概念はフロイトの自己愛の概念からほぼ直接来ていること、そしてそれがDSM的な自己愛、つまり自己中心的で他人を支配する自己愛にニュアンスを変えていったということです。いいですか? フロイトの自己愛とは、要するにエネルギーが自分に向かっている、自分の中で滞っているということです。ただそこに自己の萌芽がある。そこらへんが自体愛とは違うのです。自体愛と対象愛の中間、境目が自己愛という風にフロイトは考えたわけです。だからそれ自体では良いも悪いもない。状態像としてのナルシシズムといってもいいでしょう。この二つの自己愛概念はずいぶんかけ離れています。共通する点は、対象が見えていない、ということでしょうか。するとローゼンフェルトの自己愛の仕事というのは、フロイトの議論と、DSM的な自己中心的な自己愛という概念との橋渡しをしているというところがあります。そしてその上で、とは何かを述べるならば、それは結局はフロイトの破壊性や死の本能の外見にその根拠を見出すことができるということです。それがもっともあらわに表現されている状態は統合失調症というわけです。ところが米国でのBPDの流れを受け、それまでのpsychotic という表現から、psychotic and borderline という呼び方をされる様になります。Psychotic とボーダーラインでは全然違うのにそれが同じ遡上で論じられるということがおきています。