さてで「自己愛的な対象関係narcissistic object relation」については何が起きているのかについて、Rはほとんど投影性同一化により説明しているわけです。そこにはいくつかの段階があります。
患者は(投影や取入れを通して)対象と同一化する。
取り入れ同一化の際は対象は自分と同一化する。
投影同一化の場合は自分の一部は過剰に対象と同一化する。
さてこれでは取り入れと投影との区別があいまいになりますが、Rはこのように言ってくれるのです。「投影同一化と取り入れ同一化は通常は同時に起こり、自他の分離を認識することに対する防衛となり、それにより攻撃性や羨望も回避される。(p20)」いかがでしょうか? これで非常にすっきりします。
これにより何が起きるかというと、他者を自分の一部にしてしまう、それにより対象をコントロールするという機序が起き、それが自己愛の病理なのだ、と説明するわけです。ここら辺はBPDの病理と同じ説明ですね。でもRはこれを自己愛の病理として説明したわけです。
フロイトの自己愛理論の復習
さてここでフロイトの自己愛理論を少し復習しておきます。といっても最初のご発表で横井先生がお話をなさったのでだいぶ整理されています。簡単に言えば、一次ナルシシズムとは出生後、対象のない世界であり、二次ナルシシズムとは 精神病においてリビドーが再び自己に向かっている状態(自己愛神経症)であり、転移関係が持てず、したがって分析的な治療が行えないとフロイトは考えたわけです。そしてクラインやローゼンフェルドはこれに対して二次ナルシシズムにおいても対象関係が存在すると主張したのです。これはまさにフロイトの理論の突っ込みどころだったかもしれませんね。その頃はもちろん抗精神病薬もありませんし、精神病の治療はできないと言い切る根拠も十分にはないわけです。そして精神病状態にある人々とのかかわりからも、彼らはやはり私たちとの関係をその独特なあり方で持つことができると思います。ですからこのような理解にいたるのはごく当たり前だったといえるでしょう。サリバンなどの対人関係論者たちも同じように考え、精神病の患者さんたちとの治療を行ったわけです。
フロイトは精神病の研究だけでなく,男女の対象選択の問題を論じています。つまり成人が,性愛の対象を選択する場合には,異性の親の肯定的および否定的なイメージを対象に投影して選択する場合(依存型),肯定的および否定的な自己イメージを対象に投影して選択する場合(ナルシシズム型)をあげています。これはきわめて対象関係論的な考察であり,内的対象関係の形成と自己を前提にした考察を行っているわけです。
このようにフロイトの自己愛の理論はきわめてリビドー論的であり、自己中心、他人を利用するという、パーソナリティ障害という意味での自己愛とはずいぶん違ったわけです。そしてそれがローゼンフェルドの自己愛理論の出発点だったわけですが、それはやがてパーソナリティ障害としての自己愛の議論に近づいていったという経緯があったのです。