2017年11月26日日曜日

愛着と精神分析 4

 なぜこの発生論で困っているかというと、天才妙木君が私に要求してきたテーマが、「愛着理論から見た発生論」で、私はこの発生論がよくわかっていないことが判明したのだ。でもこれを読んでいるうちに一つの気づきがあった。つまりこういうことか。発生論が精神分析でこれほどに重視される理由は、それが病気が生じる仕組みを伝え、治療にもつながるとフロイトが考えたからだろうか。しかし問題はそれがどうして愛着理論とこれほどまでにかけ離れているか、なのだ。ラパポートもギルも大変な才人であった。だからこの文中にあるように、一生懸命発生論を考えた。「第1に,すべての心的現象は心理的な起源と発達を持っている。第2に,すべての心的現象は心的な資質に起源を持ち,漸成説的な方向に従って成熟する。第3に早期の心的現象の原型は後期のものに覆われてはいても,なおも活動的となる可能性を持っている。第4に,心的発達過程において早期の活動可能性のある原型が後期のすべての心的現象を決定する」。でもこれはすべて仮説である。精神分析が効果的であることを説明づけるための仮説であり、それはフロイトが始めたことであり、そして実際の赤ん坊の姿とはかなり違ったものだった。実際に赤ん坊を見ていたウィニコットはそれを知っていた。ウィニコットはボウルビィに劣らず baby watcher であり、それを彼自身の精神分析理論の中で論じた。それが結局はその後に繁栄した愛着理論と結局は結びついていたというわけである。こんな風な文章になるだろうか。

「ところでいったい発生論とは何か。それはギルやラパポートが論じたように、ある起源を有し、そこから徐々に、運命づけられた方向に展開していく。いわゆる漸成説だ。もちろんそこに環境は影響するが、結局はその影響は二次的、副次的ということになる。精神分析理論とは結局はこの路線なのだ。フロイトの精神性的発達論、つまり口愛期から肛門期、スピッツ.のオーガナイザー・モデル,マーラ一の分離個体化,アンナ・フロイトの発達ライン,エリクソンの心理社会的漸成説,クラインの妄想・分裂ポジション,抑うつポジション、すべてそうだ。小此木先生はここにウィニコットの絶対的依存から相対的依存へ,未統合から統合へ,ということも挙げている。そこに段階 stage とか相 phase を含む。ところがどうだろう? 実際の人間はこれとはかなり異なる成長の仕方をする。環境に左右され、トラウマを体験し、ある程度は予測でき、しかし意外な展開を遂げる。愛着理論とは一部は重なり、一部はかなり異なる。愛着理論が示したのは、これらの理論的な図式、発生論とはかなり異なる。ある意味ではとてもシンプルだ。言葉にするならば、愛着理論は母親の愛着パターンから始まり、子供の愛着パターンにかなり反映され、それがその後の成長の行方をかなり左右する、ということか。こうやって行ってみると単純だが、分析的な発生論のように包括的に何でも説明しようというわけではない。というより人の成長はずっと予測不可能なのだ。何しろ複雑系なのだから。あー、これを言ってはおしまいか。でも誰も聞いてくれない ・・・・。