2017年10月26日木曜日

倫理 推敲 2 ④

身近に出会う倫理性の問題の例

最後に精神療法を行う際に必要となる倫理的な配慮の中でも基本的なものとして、三つ挙げておこう。
.インフォームド・コンセント
治療者の側の倫理としてまず関わってくるのが、昨今議論になる事の多いインフォームド・コンセントであり、それと密接な関係にある心理教育の問題である。インフォームド・コンセントとは患者に治療の選択肢としてどのようなものがあり、どのような効果やリスクが伴うのかを説明した上で、治療の合意を得るプロセスである。そしてその前提となるのが、患者の病気や障害についての見立てを行い、その情報を開示し、必要に応じて心理教育を行なうことだ。これらのことをきちんと行なうためには、かなりの時間と精神的なエネルギーを要するし、そのための治療者側の勉強も必要となる。 ちなみにこのインフォームド・コンセントの考えは、伝統的な精神分析の技法という見地からは、かなり異質なものであった。治療の内容についてあらかじめ患者に語ることは余計なバイアスを与え、治療者のブランクスクリーンとしての機能を損なうものと考えられる傾向にあったからである。


.症例発表の承諾

学会や症例検討会などで症例の報告及び検討は欠かせないものであるが、実はその際に得るべき承諾の問題は、決して単純ではない。症例報告にはことごとく患者の承諾が必要なのか、それとも個人情報を十分な程度に変更したり一般化した場合には、承諾の必要はなくなるのか? これは決して単純に答えを出すことができない実に錯綜した問題である。その根底にある一つの大きな問題は、はたして承諾するか否かを尋ねられた患者の側に、どの程度それを断るという選択肢が自由に与えられているかという問題だ。この問題に関連し、ギャバードは以下のように述べている。

[治療を記録してスーパービジヨン等に用いることについては] このアプローチの主要な欠点は、治療を行なう二者のプライバシーが侵害されるということやそのような環境では機密性が犯されていると患者が感じてしまう危険があるということである。そのような状況で行なわれるインフォームド・コンセントが本当に自由意志によるものであるのかどうかには疑問符が付く。なぜなら,転移が強力すぎて嫌とはいえないのかもしれないからである。(長期力動的精神療法 p.228

このことはおそらく治療が終わった際の承諾にもある程度言えることであろう。さりとて症例提示を失くすことは、分析家としてのトレーニングや学術交流のためにありえないことを考えると、この問題については私たちが語るまいとする力が一番強いのかもしれない。

3.境界侵犯

境界侵犯の問題は、精神分析が始まって以来の懸案であった。フロイトの多くの弟子が患者との親密な関係に入り、フロイト自身がそれを戒める必要を頻繁に感じていた。分析家たちは治療構造や境界の意識が低く、また逆転移への理解が十分でなく、フロイトの直接の弟子である CJ.ユングも S.フェレンチも E.ジョーンズも患者との性的な関係を持ち、フロイトがそれをたしなめる必要があった。しかしその後は逆転移に関する理解が進むとともに、あらゆるセラピストが境界侵犯に陥る危険を伴うものとして、比較的オープンに語られるようになってその意味では、境界侵犯の問題は先に示したインフォームド・コンセントや個人情報の問題とは異なり、倫理の問題とは別に治療関係における力動を理解する手段としても用いられ、倫理の問題がいかにして生じ、どのように防ぐことが出来るかに対する答えを提供する可能性がある。
境界侵犯は現実的な問題でもある。ある米国での報告では、調査の段階で10パーセント以上の治療者が自ら境界の侵犯を犯したことを認めている。この問題について Gabbard の示す視点が興味深い。彼は境界侵犯を特に上級の分析家が犯した際の、組織ぐるみの抵抗 institutional resistance が生じることを観察している(Gabbard, 1995, 2001)。彼はまた境界侵犯を犯した治療者の心理テストから、彼らが必ずしも自己愛的で反社会的な所見を示すわけではなく、むしろ寂しさや対人関係上の飢えを表していたという。

以上精神療法における倫理の問題に関して論じた。今後の精神療法に関する理論は、この倫理の問題はますます重要性を増すと考える。本稿がこの問題に取り組む際の参考になれば幸いである。Celenza and Hilsenroth (1997) Personality characteristics of mental health professionals who have engaged in sexualized dual relationships: A Rorschach investigation. Bull. Mennin. Clinic. 61:90-107.
GabbardGO (1995) The Early History Of Boundary Violations In Psychoanalysis  Journal of the American Psychoanalytic Association, 43:1115-1136
Gabbard, GO (2001). Speaking the Unspeakable: Institutional Reactions to Boundary Violations by Training Analysts. Journal of the American Psychoanalytic Association, 49(2):659-673