2017年10月14日土曜日

脳と心を分けたがる人たち 推敲

●脳と心を分けたがる自分に、「快、不快」を問いなおす

「快の錬金術」という本を上梓した。すると同僚から「また脳の本ですね?」と言われてしまう。「それにしても、人はどうして脳と心をこんなに分けたがるのだろう?」と私は思ってしまう。
 先日あるところで「脳科学と心理療法」という講演を行った。そこでは最近の脳科学的な知見が無意識の概念にどのような影響を与えるか、などについて話した。すると後の情報交換会で、参加者の中からこのような声を聞いた。「精神分析の話しか聞いたことのなかった先生がいきなり脳の話をしたのでびっくりしました。」これを聞いて「えっ?」と私は思う。しかし同時に「なるほど」とも思う。心の問題(たとえば精神分析)を語る人間が、同時に脳を語ることにはこれほどの違和感が伴いかねないのだ。あたかも心を語る人と脳を語る人が別々の考え方を持つ人々であるかのような印象を与えるらしい。しかしなぜだろう? 人はどうしてそこまで脳と心をわけるのだろう? しかしそういう私もやはり同じ過ちを犯していることが最近判明した。その私自身の例を示そう。
3年ほど前に死生観についての講演を行ったとき、私は森田正馬の最後の様子について読む機会があり、興味を持った。森田正馬といえば、かの森田療法を創出した人だが、その今際の時の様子について次のように伝えられている(原典は省略する)。
「森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
 これが本当に彼の最後の姿だろうか? 森田がその人生をかけて取り組んだ死生学は、実際の死の恐怖を前にして何の意味を持たなかったのだろうか? そうだとしたら森田のそれはまがい物だったのだろうか、とまで思ったものである。「死ぬ瞬間」などの著作で有名な、エリザベス・キュブラーロスでさえ、死ぬ直前には決して穏やかではなかったと伝えられる。先人が到達したはずの諦念や死生観とは、所詮そんなものか、と思っていたのである。
この問題を考え直すヒントになったのは、先日見たNHKのドキュメンタリーである。平成29918日に放映されたNHKドキュメンタリー「ありのままの最期 末期がんの“看取り医師” 死までの450日」は、末期の膵臓がんで余命わずかと宣告された田中雅博氏(当時69)のドキュメンタリーである。彼は医師として、そして僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」だ。これまで千人以上を看取った田中さん自身の「究極の理想の死」までの道のりを記録しよういうのが番組スタッフの意図であり、もちろん田中医師も快諾した。しかし実際の死が近づくと、それまで落ち着きを保ち、自分の死に泰然自若としていた田中氏から余裕の表情が消え、何かにおびえたようになる。自分の立ち上げた懇談会に最後まで出るといっていた彼が、直前になって「帰る」と言い出し、介護をする奥方に「眠らせてくれー」と駄々をこねるように繰り返す。穏やかで眠るような死を迎えることを誰もが予想していた田中氏の死は、それとは随分異なる姿となった。私は「彼もまたそうだったのか・・・」そう思いかけたときである。しかし常に夫に付き添って看病をしていた、医師でもあり見取りのスペシャリストでもある奥方の言葉が、私には決定的な意味を持っていた。
「もう譫妄が始まっている・・・」。
これで私の考えはひっくりかえってしまった。そうか、それを忘れていた。私も脳と心を分けていたのだ。
譫妄とは、人が代謝異常などにより脳の正常な機能を損なわれた結果生じる、妄想や幻覚、不安や恐怖を伴う意識障害のことである。つまり田中氏の脳は明らかに通常の機能を失い、精密機械の歯車が逆回転しだしたような、激しい症状を呈することがある。それが田中医師にそれまでとは人が代わったような様子を呈していたのである。
私は頭ではよくわかっているつもりである。人間の脳はある意味で作品なのだ。多くの経験を積み、知識を蓄え、磨き上げられた、いわば花瓶のような芸術品なのである。見事にくみ上げられたコンピューターのプログラムにたとえてもいい。そしてふとしたことからヒビが入ったり、バグが生じて著しく損なわれ、無に帰してしまったとしても何の不思議もない。森田正馬も田中医師も、その脳は、そして心は死の直前には以前の姿を留めていなかったのだ。それなのに私は、「彼らは本物ではなかったのか?」などと考えていた。愚かしい話だ。やはりどこかに私は心は物質を超えた崇高なものと思い込んでいたらしい。
「心とは魂であり、それは物質を超越したものである。」すごく納得がいくような表現だ。でも物質を超越したはずの心は、少しでも血流が途絶えたり、アンモニアが増加したり、あるいはそのほんの一部を切除しただけでまったく別の姿を現したりする。物質を超越した心を考えることはどう考えても無理なのである。それなのになぜ私たちは心を脳から分けておきたいのか?
私は一応この問いについては次の様に理由付けしている。人は死が怖い。死を自分で体験することは決して出来ない。(いわゆる「臨死体験」はアヤしいと考えている)。そして死は未知であるからこそ不安を掻き立てるものである。心が物質を基盤とする以上のものでなければ、意識を支える物質的基盤である脳が滅ぶことで、心の消失は確定してしまう。それではどうしても困るのだ。それにどう考えても、私にとって両親は、小此木先生は記憶の中で生きていて話しかけてくれるのだ。そしてそれを外に投影してしまう。彼らが生きているのではなく、私が生きているだけなのに。結局「脳と心は別物である」、と考えるよりは、「脳と心は別物であるということを忘れがちなのは人間の性(さが)だ」と考える方が無難かもしれない。
「快の錬金術」を書いている最中に、私はこの心と脳の問題を常に考え続けていたといっていい。それは脳と心をつなげては切り離す、そしてつなげる、という作業でもあった。快、不快は心と脳を直結させる体験なのだ。私たちの味わう心地よさや苦痛は、心の存在をもっとも直接的に反映しているものと考えていいだろう。私たち、と言ったが実は人間よりはるかに下等な生物全体にいえることだ。その中枢神経に見られるドーパミン系のニューロンが快感には常に伴う。C.エレガンスという下等な線虫にさえ存在するドーパミン系。そこから生まれる快感に基づき、線虫も私たち人間も捕食し、生殖活動を営む。心と脳の対応関係を生む最小単位は、ドーパミン系(脳)と快(心)だと私は考える。
「われ快を味わう、ゆえに我あり」ということだろう。