2017年10月17日火曜日

精神分析をいかに学んだか 4

あるいはクライン理論。メラニー・クラインの中にはかなり激しい怒りがあったことがうかがえます。怒りはしばしば自分の弱さや小ささを自覚させられたり、人に指摘されたりすることで誘発されます。これはコフートの言葉では自己愛憤怒です。しかしクラインにとっては怒りをプライマリーなものにすることで、自分の恥の部分の存在を認める必要はなくなります。
以上の二つは思い付きで、最近どこかで行った自己愛の講演の影響がまだ頭になるから出てきた言葉です。もっといい論じ方があるかもしれません。 
さて、何を脱学習するか?
ここで私は二つの点についてお話します。
一つはやはり理論にとらわれないということです。このことについて、精神分析の世界で起きていることを一つお伝えします。それは従来の理論にとらわれない、ということが倫理的な姿勢として唱えられているということです。これは皆さんもにわかには信じがたいでしょうね。フロイトの時代には治療原則を守るということが正しい道だったのですが、今やさまざまな理論を考えに入れよ、ということが言われているようです。これはもう少しはっきり言うならば「フロイトの言ったことにこだわるな?少なくともそれにより臨床を犠牲にしてはならない」ということです。この経緯についてはいろいろ論じていますが、ここでももう一度紹介しましょう。
 フロイトは精神分析の治療技法としてまとめたものとしては、に匿名性、禁欲原則、中立性の三原則として論じられることが多い。またそれ以降の精神分析的な理論の発展の中で、転移解釈の重要性が唱えられた。精神分析の草創期には、これらの原則や技法が順守されることと治療者が倫理的であることに区別はなかったといえる。なぜなら正しい技法を用いることが患者の治癒につながると考えられたからだ。しかし当時は分析家と患者が治療的な境界を超えて親密な関係に陥るケースは後を絶たなかったが、フロイトはそれを厳格に戒めることはなかった。
やがて米国では196070年代を経て、そのような倫理観に変化が生まれた。精神分析の効果判定に対する失望や境界パーソナリティ障害の治療の困難さを通して、分析的な技法を厳格に遵守するという立場よりも、実際の精神分析の臨床場面でそれをどのように柔軟に運用するのかというテーマへ臨床家の関心が移行したからである。フロイト自身は実際にはそれとはかなり外れた臨床を行っていたという報告(Lynn, 1998など)もその追い風になった。またオショロフVSチェスとナットロッジの裁判を通じて、精神分析がその方針や利点、そしてそれによる負荷 burdern を明確に示す必要が生じたのである。岡野はそのような流れを、分析的な「基本原則」から臨床上の「経験則」への変遷として論じた。たとえば「転移の解釈は、それが抵抗となっているときに扱う」(グリーンソン)というような分析療法を進める上での教えがその例であろう。
米国精神分析協会による倫理綱領(Dewald, Clark, 2001)はそのような流れを反映したものと言える。そこには「フロイトの基本原則を守り、正しい精神分析療法を施しなさい」と書いてはいない。むしろ
●自分が訓練を受けた範囲内でのみ治療行為を行う。
●理論や技法がどのように移り変わっているかを十分知っておかなくてはならない。
●分析家は必要に応じて他の分野の専門家、たとえば薬物療法家等のコンサルテーションを受けなくてはならない。
●患者や治療者としての専門職を守り、難しい症例についてはコンサルテーションを受けなくてはならない
などの項目が見られるのである。これらの倫理的な規定はどれも、技法の内部に踏み込んでそのあり方を具体的に規定するわけではない。むしろ分析家は治療原則をむしろ柔軟に応用する必要を示しているのだ。中立性や受身性も、それにどの程度従うかは個々の治療者がその時々で判断すべき問題となる。すなわち「基本原則」の中でも匿名性や中立性は、「それらは必要に応じて用いられる」という形に修正され、相対化されざるを得ない。
 ただし「基本原則」の中で禁欲原則については、それを治療者に当てはめたもの、すなわち「治療者側は治療により自分の願望を満たすことについては禁欲的でなくてはならない」とするならば、それはまさに倫理原則そのものといっても過言ではない。結局上に述べた「経験則」のほうは関係性を重視してラポールの継続を目的としたもの、患者の立場を重視するもの、といえるが、それは倫理的な方向性とほぼ歩調を合わせているといえる。倫理が患者の利益の最大の保全にかかっているとすれば、「経験則」はいかに患者の立場に立ちながら分析を進めるか、ということに向けられているといってよい。
ここで述べていることは、比較的消極的である。ここからは私自身の脱学習の成果を述べたいと思います。