2017年10月1日日曜日

脳と心を分けたがる人たち (2)

そこで私は思ったのだ。私もやはり脳と心を別物と考えているのだと。一体どうしてこのようなことが生じるのだろうか? 精神科医や心理士の間では比較的よく知られているフィネアス・ゲージ氏の話。19世紀に生きたゲージ氏は、事故で前頭葉を吹き飛ばされてからは、言葉も仕草もまったく変わってしまったという例である。その頃脳のことを知らなかった人々は、前頭葉の大きな部分を飛ばされた人が普通に話せていて一見以前と変わらない様子であることに驚いたが、もう一つはそれまでの穏やかな性格が一変してしまったことにも驚いた。それまでは穏やかで誠実で仲間思いだったゲージが無計画で衝動的で乱暴になってしまったのである。
この例で私たちは次の様に思うだろうか? 「脳の一部を失っただけで性格が変わるなんて、彼の誠実さは本物ではなかったのだ。」 イヤイヤイヤ。では田中医師や森田正馬の例とどう違うのだろうか? 
人間の脳はある意味で作品であり、多くの経験を積み、知識を蓄え、磨き上げられた、いわば過敏のような芸術品のようなものである。見事にくみ上げられたコンピューターのプログラムにたとえてもいい。そこにヒビが入ったり、バグが生じてその出来が著しく損なわれたとしても不思議ではない。それなのに二人の医師の場合には「彼らは本物ではなかったのだ」と思うのはどうしてだろうか? やはり私は心は物質を超えた崇高なものと考えているのだ。

というか、今回分、朝でがけに10分くらいで適当に書いたことが余りに明らかではないか?