2017年9月8日金曜日

第7章 攻撃性を問い直す ③

2.相手の痛みを感じることが出来ない場合
加害殺傷のファンタジーには、それを実際に行動に移すことへの恐怖と罪悪感が強力なストッパーになっていると述べた。すると恐怖や罪悪感がそもそも希薄だったり欠如していたりする人の場合にはどうだろうか、という問題になる。あたかもゲームで人を殺すようにして、実際の殺害行為に及ぶことになることになりはしないか? 活動性や動きにより「効果」をもたらしたいという願望、そのためのファンタジーにおける殺戮、それに罪悪感の希薄さや欠如が加われば、それが実際の他人に向けられても不思議はないとも考えられる。注目していただきたいのは、彼らが特別高い「攻撃性」を備えている必要すらないということだ。彼らの胸に生じる可能性のあるのは「どうしてテレビゲームで敵を倒すようにして人を殺してはいけないの?」という素朴な疑問だけであろう。
「人を殺してみたかった」という犯罪者の言葉を、私たちはこれまでに少なくとも二度聞いている。一人は2000年の豊川事件の加害者。もう一人は2014 7月の佐世保での女子高生殺害事件においてである。後者の事件の加害少女は、小学校のときに給食に農薬を混入させ、中学のときには猫を虐待死させて解剖するという事件を起こしている。さらには昨年の事件の前には父親を金属バットで殴り重傷を負わせている。そこにはそれらの行為による「効果」に興味を持ち、楽しんでいるというニュアンスが伺えるのである。
ではどのような場合にこの「人の痛みを感じられない」という事態が生じるのだろうか?
他人の感情を感じ取りにくい病理として、私たちはまずはサイコパス、ないしはソシオパスと呼ばれる人々を思い浮かべるであろう。いわゆる犯罪者性格である。また自閉症やアスペルガー障害などの発達障害を考える人もいるかもしれない。確かに残虐な事件の背景に、犯人の発達障害的な問題が垣間見られることはしばしばある。
まずはコアなサイコパス群についてである。彼らの多くは一見通常の言語的なコミュニケーション能力や社会性を有し、そのために他人を欺きやすい。2001年の大阪池田小事件の犯人などは、典型的なサイコパスでありながらも何度も結婚までし遂げている。なぜ他人の痛みがわからない人がかりそめにも社会性を身につけるのかについては不明だが、おそらくある種の知性はかなりの程度まで社会性を偽装することに用いることが出来るのであろう。あるいは彼らの他人の痛みを感じる能力には、「オン、オフ」があるのかもしれない。
 最近わが国でも評判となっている著書で、ジェームス・ファロンは大脳の前頭前皮質の腹側部と背側部における機能の違いを説明する()。前者はいわば「熱い認知」に関係し、情動記憶や社会的、倫理的な認知に対応し、後者は「冷たい認知」すなわち理性的な認知を意味する。そしてサイコパスにおいては特に前者の機能不全が観察されているとする。それに比べてむしろ後者の「冷たい認知」に障害を有するのが自閉症であるとする。
そこでこの自閉症を含む発達障害に目を転じてみよう。実は過去20年の間に起きた殺人事件で加害者にアスペルガー障害が疑われたケースはかなりある。そのためにこの障害自体が攻撃性や加害性と関連付けて見られやすい傾向にある。しかし当事者のために一言述べておかなくてはならないことがある。それは自閉症やアスペルガー障害を持つ人々が人の心を読みにくいために加害的な行動をとりやすいということは決してないということだ。それどころか彼らの多くは高い知能を有し、人から信頼され、研究者や大学教員となって活躍している。
ここで他者の心を理解しにくいということは、道徳心や超自我が育たないという事を必ずしも意味しないという点についても強調しておきたい。むしろ彼らの持つ秩序へのこだわりは、加害行為に対する強い抑制ともなっている可能性がある。彼らの多くは、法律や規則や倫理則を犯すことを生理的に受け付けない。私の知るアスペルガー傾向を持つ人々の中には、車の運転をする際に法定速度を絶対に超えない人がいる。あるいは決められたアポイントメントの時間に一分たりとも遅れる事が出来ないという人もいる。その種の「決まり」を守らないことは、彼らにとっては「キモチわるく」、感覚的に耐えられないようだ。


しかし「決まり」を守る道徳性と「他人に痛みを及ぼすこと」を抑止する道徳性は次元が異なるのもはたしかであろう。前者による罪悪感や羞恥心や「キモチわるさ」は、いわば自分の側の不快や痛みである。他人の痛みを感じる力が希薄でも成立するのだ。しかし後者は自分がどうであれ、他人の痛みがそのまま問題となる。方向性としては全く逆なのである。ただしもちろん「人を害してはならない」は「決まり」でもある。他人の苦痛を感じにくい人でも、「決まり」を破るという意味で加害行為はそれなりに「キモチわる」くもあるだろう。しかし他人の痛みを感じることによる決定的な抑止を欠いている場合には、加害行為はゲーム感覚で、あたかも仮想上の敵に対する攻撃と同じレベルで生じてしまう可能性があるのだろう。つまり発達障害傾向にサイコパス性が重なっている場合には、事情は大きく異なる可能性があるのだ。