3.現実の攻撃が性的な快感を伴う場合
相手を蹂躙し、殺害することに快感が伴う場合、攻撃性の発揮は執拗で、反復的となる。2015年の文芸春秋5月号に、「酒鬼薔薇」事件(1997年)の犯人Aの家裁審判「決定」全文が載せられている(6)。これを読むと、一見ごく普通の少年時代を送った少年Aが猟奇殺人を起こす人間へと変貌していく過程を克明に見ることが出来る。思春期を迎えると、悪魔に魅入られたように残虐な行為に興奮し、性的な快感を味わうようになる。少年Aの場合は、性的エクスタシーは常に人を残虐に殺すという空想と結びついていたという。
米国ではジェフリー・ダーマーというとんでもない殺人鬼がいたが、彼の父親の手記も同様の感想を抱かせる(7)。ダーマーは1970~80年代主にオハイオ州やウィスコンシン州で合計17人の青少年を殺害し、その後に屍姦や死体の切断、さらには肉食行為を行った。母親は極めて精神的に不安定であったが、父親はそれなりの愛情を注いでいたようである。しかし父から昆虫採集用の科学薬品のセットをもらってからは、動物の死体をいじることに夢中になり、その対象も昆虫から小動物に移行する。彼のネクロフィリア(死体に性的興奮を覚える傾向)の追求にだれも歯止めをかけることはできなかったのだ。そして取り返しのつかない讃辞が起こってしまう。
私たち人間にとって性的ファンタジーほど始末におえないものはない。私たちの多くは一生これに縛られて生きていくようなものだ。私たちの性的な空想は、その大半は同世代の異性に向けられる。しかし私たちの一部にとっては、性的空想の対象は同性である。またその少数はそれを小児に向け、またごく一部はその対象をいたぶることでその興奮が倍加し、そしてごくごく一部が、殺害することでエクスタシーを得る。犯人Aやジェフリー・ダーマーの場合のように。いったいそのような運命を担ったらどうやって生きていけばいいのだろうか?
おそらく全人類の一定の割合は、ネクロフィリアを有し、猟奇的な空想をもてあそぶ運命にあろう。彼らはみな犯人Aのような事件を起こすのだろうか? ここからは純粋に想像でしかないが、否であろうと思う。彼らはおそらくそれ以外の面で普通の市民であろうし、自らの性癖を深く恥じ、一生秘密として心にしまいこみ続けるのではないだろうか? そしてごく一部が不幸にしてそれを実行に移してしまうのであろう。
4.突然「キレる」場合
殺傷事件の犯人のプロフィールにしばしば現れる、この「キレやすい」という傾向。普段は穏やかな人がふとしたきっかけで突然攻撃的な行動を見せる。犯罪者の更生がいかに進み、行動上の改善がみられても、それを一度で帳消しにしてしまうような、この「キレる」という現象。秋葉原事件の犯人は、人にサービス精神を発揮するような側面がありながら、中学時代から突然友人を殴ったり、ガラスを素手で叩き割ったりするという側面があった。池田小事件の犯人などは、精神病を装ったうえでの精神病院での生活が嫌で、病棟の5階から飛び降り、腰やあごの骨折をしたという。これは自傷行為でありながらも「キレた」結果というニュアンスがある。一体キレるというこの現象は何か。DSM-5の診断基準では、「間欠性爆発性障害」というおどろおどろしい名前がついているこの障害は、実はおそらくあらゆる傷害事件の背景に潜んでいる可能性がある。
以上攻撃性への抑止が外れる4つの状況を示したが、現実にはこれらはおそらく複合しているのだ。殺人空想により性的快感を得る人間が、人の痛みを感じ取る能力にかけ、同時にキレ易い傾向を有し、また幼少時に虐めや情緒的な剥奪を受けることで世界に恨みを抱いた状態。それが凶悪事件を犯す人々のプロフィールをかなりよく描写しているのである。
ちなみにこれらの4つのうち、2番目と4番目に関しては、そこにサイコパスたちの持つ脳の器質的な問題が影響している可能性があると筆者は考える。殺人者の半数以上に脳の形態異常や異常脳波が見られるということが指摘されてきた。最近のロンドンキングスカレッジのブラックウッドらの研究によると、暴力的な犯罪者は脳の内側前頭皮質と側頭極の灰白質(つまり脳細胞の密集している部分)の容積が少ないという。これらの部位は、他人に対する共感に関連し、倫理的な行動について考えるときに活動する場所といわれる。(http://www.reuters.com/article/2012/05/07/us-brains-psychopaths-idUSBRE8460ZQ20120507“Study finds psychopaths have distinct brain structure.) 前出のファロンの著書も同様の結果を報告しているのだ。