2017年9月13日水曜日

第8章 終結を問い直す ③

治療者との内的な関係が残る

精神分析理論とも異なり、別れの否認にもつながる可能性のある「自然消滅」にもそれなりの意味があるのだろうか? そうだとしたら、治療関係には、あるいはそれを含めた人間の関係には、明確な別れがないからだろう。別れても、その人とは関係は心の中でつながっているからである。あとはごくたまに顔を合わせて、あるいは墓前で手を合わせて「確かめる」だけでいいのである。お別れや終結は、一つの、しかも重要な区切りではあっても、関係自体は決して終わらないのである。
こう言うことには少し勇気がいるのだが、人間はある時期が来れば、別れることで、よい関係に入ることが出来るとは言えないだろうか。もっと勇気を出して言えば、それが死別であっても、である。安定した穏やかな関係は、距離のある関係である。距離を持ちつつ、心の中ではお互いを考えているのだ。臨床家ならわかっていただけるだろう。過去に出会ったケースで頭に時折浮かんでこない人はいるだろうか?私はいつも回想の中で出会っているし、対話をしているのだ。それは別れ方によってはほろ苦いものになるかもしれない。そしておそらく向こうもそうやって出会っている。人との関係がそういうものである以上、別れは言葉では言わないものである。あるいは言ったとしても必ず「いつかまた会いましょう。」私はこれは特に別れや喪の作業の否認とは必ずしも言えないと思う。
とすれば終結とは、常に起きうるし、毎回起きている種のものであることがわかる。いつも「これで終わりかもしれない」ことを言語化しないものの、その覚悟で会うのだ。こうなるとドロップアウトすらも終結ということになる。


この後長~い終結例(当然省略)