2017年9月29日金曜日

日本における対人ストレス (5)

甘えに潜む病理の研究
 これがいろいろあるらしい。一つには甘えさせる側の問題が論じられている。甘やかし、について考えよう。甘えとは「受動的であるとともに能動的」(岡野)な行動であるというのが特徴だ。ところが「甘やかし」は親の都合によるものであり、そこには親からの一方的な押し付けがある。子供はそれを受動的に受け入れるところがある。「子は自分で求めてはいなくとも、甘えを求める弱者の位置に座らされるだけで、無力なままに押しとどめられる()」 甘やかす親は利己的である以上、子供が自分の好きな方法で甘えてくる場合にはそれを受け入れるが、それ以外は拒絶する。子供は母親流の甘やかしを受け入れるための仮面を形成しなくてはいけない。偽りの自己False self の形成である。
たとえばこんな例を考えよう。母親がピアノを娘に習わせようとする。母親は自分が子供の頃に習うことが出来なかったピアノを娘に習わせたい。娘は本当はピアノを習いたくないかもしれない。しかし次の様な母親の声を聞く。「Aちゃんはピアノを習ったらうまくなるかもしれないわね。そう思うでしょ。」Aちゃんは違和感を感じながらも頷くと、母親は「そうだ、Aちゃんにピアノを習わせてあげるわ。でもピアノを買ったりお教室に通わせるのはお金がかかるのだから、しっかり練習しなくちゃ駄目よ。」 Aちゃんはいつの間にか自分が進んでピアノを習いたいと言い出し、親から恩を着せられるという体験をするが、実はこれは押し付けなのだ。しかしそのことが語られないし、母親の中では否認されている。これが甘やかしのメンタリティである。