2017年8月24日木曜日

精神療法と倫理 ②

治療技法と倫理との関係
ここで話を広く精神療法、特に精神分析に一般化して考えたい。なぜなら治療における倫理の問題が発展した一つの素地は、精神分析にあったからである。そして最近の精神分析においては、精神分析的な治療技法を考える際に、倫理との係わり合いを無視することはできなくなっている。
フロイトが精神分析を生み出した当時、分析家の倫理性を問う表立った動きは皆無だったと言っていいであろう。あえているならば、精神分析的な原則に従うことがそうだったのだ。精神分析の原則に従うのが正しい治療である、という考えはフロイトの理論の提示の仕方に由来すると言っていい。フロイトは数多くの原則や規則を設けたことはよく知られる。それらには禁欲規則、自由連想等があげられよう。そして解釈の重要性を「金」と呼び、それ以外の治療手段を「混ぜ物(合金)」と呼び、そこに大きな価値下げを行った。それ以来精神分析理論を行うものにとっては、この規則をいかに遵守するかが分析家の大きな関心の的となったのである。
 しかし時を過ぎれば、倫理原則の設定には、治療原則に盲目的に従うことに対する戒めが加わっているのが興味深い。例えば米国心理協会によれば、倫理則の4条項の最後は、 (1) allow professional judgment on the part of psychologists,専門家としての判断を許容する。(2) eliminate injustice or inequality that would occur without the modifier, 起きうるべき不正、不平等を制限する(3) ensure applicability across the broad range of activities conducted by psychologists, or 広く応用可能なものとする。(4) すぐに時代遅れになってしまうような頑なな規則に警戒する guard against a set of rigid rules that might be quickly outdatedとある。