2017年8月17日木曜日

精神療法と倫理 ① 真っ白体験 ③

精神療法における倫理
精神療法における倫理の問題は極めて重要である。臨床家としての私が常日頃それを思うのにはある理由がある。

(中略)

特に駆け出しのカウンセラーにはありがちな対応であろう。このカウンセラーの取った行動は倫理的だろうか?
勿論一概にこのセラピストの行動の是非を論じることが目的ではない。一つ考えていただきたいのは、このセラピストの行動に関連した倫理性には、大きく分けて二つが存在することだ。
    クライエントの気持ちを汲み、それに寄り添う行動だったか?
    「治療者としてなすべきこと」を遵守した行動だったか?
私が長年のスーパービジョン体験から感じるのは、このうち2.に関連した懸念が少なくともセラピストの意識レベルでの関心のかなりの部分を占めているということである。「セラピストとして正しくふるまっているのか」はおそらく大半の経験の浅いセラピストの胸にある。そしてそれは多くの場合、①を検討する機会を奪っているようである。その結果としてセラピストにとっては②は満たされたことになるのかもしれない。しかしクライエントは気持ちを無視され、いたたまれない気持ちになった可能性がある。

ところでこのような問題については倫理についての議論が助けとなることは、心理の世界では意外と論じられていない。倫理に関する分類として1970年代より提出されている、道徳的倫理か、慣習的倫理か、という考え方である。その代表であるElliott Turiel は、道徳的な決まりmoral rulesと慣習的な決まりconventional rulesとの区別を挙げ、それは次のように理解されている(Kelly, et al, 2007) 。前者はより普遍的で、それが守られない場合には具体的な被害者が出るが、後者は地域や文化に依存し、守られない場合に具体的な被害者が出ない。ただこれをより心理学的に翻訳するならば、前出の①,②という表現に相当することになる。ただし慣習的な決まりにおいてだれも被害者は出ないのであろうか?②により①が犠牲になる形で生じるという問題がある。そしてそれはたとえば治療構造を守る()ことで患者の気持ちがくみ取れなくなる()という形が多いようである。
Turiel , E . 1979 : Distinct conceptual and developmental domains: social convention and morality . In Howe , H . and Keasey , C . ( eds ), Nebraska Symposium on Motivation, 1977: Social Cognitive Development. Lincoln : University of Nebraska Press .
Kelly, D., Stich, S., et al (2007) Harm, Affect, and the Moral/Conventional Distinction. Mind & Language, Vol. 22 No. 2 April 2007, pp. 117–131.


真っ白体験と認知症
 ちなみにこの真っ白現象、認知症では定番である。認知症では、たとえば近所を歩いていて、突然パニックに陥る。家へ帰る道が分からなくなるのだ。ある原爆の語り部は、認知症が始まり、形の途中で絶句してトイレに駆け込みでてこない、という体験を持ったという。意識(ワーキングメモリースペース)に内容を送り出すというプロセスが、特に認知症では深刻な障害を受けるらしい。WMスペース、このターム今思いついたが使えるだろう。ここに次の瞬間の内容が繰り広げられるのだ。