第2章 解釈を問い直す(1)
「共感と解釈」について― 本当に解釈は必要なのか?
小寺セミナー 2017年7月23日にて発表
精神分析の世界ではとかく、共感と解釈は両極端のものと考えられやすい。そして決まって「共感ばかりでは患者さんの洞察は得られないだろう。」という主張が優勢となる。洞察よりも共感の方がより本質的であり大事だ、という議論はほとんど聞かれないといってよいだろう。百歩譲っても、洞察は最終目的であり、そのための解釈を受け入れてもらうためには、まず共感が必要であるという言い方がなされるのである。そしてもし「共感だけでもいいのだ」という主張をしようものなら、あの恐ろしい宣告を受けてしまうのである。
「それは精神分析ではありません。」
私は分析学会の会場ではそんなことは怖くて言えず、またそれを提唱しようとは思わない。その代りに次のように申し上げることが妥当であろうと思う。
精神療法とは、洞察と共感がその両輪なのだ。(以下略)