今から思えば小此木先生の後進を指導するスタイルは、一種独特だったような気がする。小此木先生はいわば、どのような理論にも興味を示し、ご自分の該博な知識の体系にとってまだ目新しいものについては、それを専門とするお弟子さんに目をかけ、取り込むということをされていたという印象がある。弟子としては先生に可愛がられつつ、いつの間にか小此木先生の頭の引き出しに入っているという不思議な感覚があったであろう。それはあるお弟子さんにとっては、いつの間にか小此木先生に「利用されてしまっている」という印象を与えていたかもしれない。
それにしても小此木先生ほど新しい知識を吸収することにあれほど知的興奮を覚える方は、他に出会ったことがない気がする。弟子たちをその学派で差別する、ということはおよそなかったのは、先生の知的な好奇心が関係していたように思う。私は小此木先生のお弟子さんというと真っ先に大野裕先生を思い浮かべるが、大野先生は米国留学後は精神分析とは距離を置かれ、東京に戻られたあとは、認知療法の方面の第一人者になられたが、小此木先生は特に意に介されるというところはなかった。
弟子の属する学派やそれに従った治療スタイルを受け入れる際の幅の広さは、私が精神分析を学ぶ上でも随分助けになった。私は1993年以降は、毎年精神分析学会に出席しているが、小此木先生にお会いするたびに近況を伝え、最近の勉強の進捗状況について報告するようにしていた。その際私が従来の精神分析的な考えに対して疑問を持ち始めたことに関しても、その代わりに新しい考えを取り込むことを積極的に勧めて頂いたと思う。他方では、それとはかなり相容れない他学派を学ぶお弟子さんたちをも積極的に先生が励まされていたことを思うと、その姿勢の柔軟性には今更驚かされる。
それにしても小此木先生ほど新しい知識を吸収することにあれほど知的興奮を覚える方は、他に出会ったことがない気がする。弟子たちをその学派で差別する、ということはおよそなかったのは、先生の知的な好奇心が関係していたように思う。私は小此木先生のお弟子さんというと真っ先に大野裕先生を思い浮かべるが、大野先生は米国留学後は精神分析とは距離を置かれ、東京に戻られたあとは、認知療法の方面の第一人者になられたが、小此木先生は特に意に介されるというところはなかった。
弟子の属する学派やそれに従った治療スタイルを受け入れる際の幅の広さは、私が精神分析を学ぶ上でも随分助けになった。私は1993年以降は、毎年精神分析学会に出席しているが、小此木先生にお会いするたびに近況を伝え、最近の勉強の進捗状況について報告するようにしていた。その際私が従来の精神分析的な考えに対して疑問を持ち始めたことに関しても、その代わりに新しい考えを取り込むことを積極的に勧めて頂いたと思う。他方では、それとはかなり相容れない他学派を学ぶお弟子さんたちをも積極的に先生が励まされていたことを思うと、その姿勢の柔軟性には今更驚かされる。