2017年7月6日木曜日

脳科学と精神療法 ⑤

 次にお話ししたいのが心における適者生存、あるいはダーウィニズムというテーマです。ウィリアム・カルビンという学者の「How Brains think」ずいぶん前の本なんですけれども、非常に感銘を受けた本です。そこに心の活動というのは常にダーウィニズムが起きているという話が出てきます。脳の中で様々な可能性が離散集合して、その中で強いと思ったものが体制を占めて勝ってしまう。トランプさんとクリントンさんみたいなものです。最後にどうしてああなってしまうのということがダーウィニズムで起きて、そして結果が出る。実は我々の心はこれが各瞬間に起きているということです。私がここで何を言いたいかというと、トランプさんが勝ったみたいに、我々の心を産出しているものというのは最後の瞬間に何が起きるかわからない形で、かなりアトランダムに生じてきやすいわけです。
 ランダムウォークという言い方があります。ランダムウォークというのは、ブラウン運動をする花粉の小さな粒がこういういろんな動きをするわけです。英語ではDrunker’s walk(酔っぱらいの歩行)。脳の中ではこういうことが起きているのではないかということを神経ダーウィニズムは言っています。

 神経ダーウィニズムというのは2種類の考え方があります。例えば最初はこんな形になります。

 神経細胞の間を結び付けて、こことここにばかり刺激を与えると、それ以外の部分がプルーニング(枝切り)されていく。それでここだけが強化されるという形で生き残っていく。これがいわゆるヘッブの法則です。要するにいつも同時に興奮している神経細胞はつながっていく原則でもって最終的に残された道が太くなります。
 こういうダーウィニズムとは別にもう一つのダーウィニズムがある。私はここを説明するのが一番自信がないんです。でも、あえてやります。我々の大脳皮質の厚さはわずか2mm。そこに膨大な数の神経細胞があります。これがその(コリュテクス)だとすると、皆さんはそこに微細なコラムがあるというのをお聞きになったことはあるでしょうか。脳の内的皮質というのは実際は筒のような形になっていて、一つのコラムの上下で情報のやり取りが行われている。マイクロコラムが8100集まるともう少し大きいコラムになる。マイクロコラムは大脳皮質の中に1億あると言われている。我々の脳の在り方というのは1億もの小さなモジュールがそれぞれ個別に何かをやっているということです。だから上から見るとこのコラム、このコラム、このコラム、ちょっと別のつながったコラム。これは(マックロコラム)というふうに言われているらしいんですけれども、マイクロコラムが集まって大きなコラムになって、それがいくつもの大脳皮質にあるということです。

 これはどういうものがあるかというと、これはカルヴィン先生の仮定ですが、実はここにあった物が次々とコピーされていくということです。もちろん大脳皮質の限定されたエリアでコラムの内容がコピーされて、それが領土を拡大し、別の物の領土拡大とコンプリートして最終的に勝つものがトランプさんということです。

  こんな絵を描いています。コラムが自分をコピーして領土を拡大すると、別の物との間で中間にはさまれた物が浮動票みたいな感じになる。大脳皮質というのはコラム間に陣地人事争いが常に起きているのです。私がこうして話している時に、次に何を話そうかと浮かんでくる単語というのは私の頭の中で各瞬間各瞬間にいくつかの単語の候補が現れて、その中で一番強いものが勝って口から出てくる。私はアドリブで話しているけれども、原稿を読んだ時は全く違うことが起きているというわけです。
 カルヴィンさんは別の絵で、グー・チョキ・パー、何を出そうかという時に、最終的に何かを出すんだけれども、その時にはパーのエリアとチョキのエリアとグーのエリアの間に争いが起き、最終的にどれかを出すのです。どれを出すかは、ちょうど鉛筆のとがった芯を下にしてどちらに倒れるかというのと同じくらいにランダム性をもっているということです。ただしもちろん、最初からパーを出すつもりだったらこんな面倒なことは起きません。人が自由意思で、何かを選択するときには、多かれ少なかれこのような「適者生存」の現象が起きているというわけです。エー、今日の説明で、私にとって一番難しいところを説明したわけですけれども、えっ、すごいみたいな反応は特に皆さんないようですが、続けさせていただきます。
 脳の中で起きていることというのはちょうど自然界で起きていることに似ています。ミクロなレベルでたくさんの分子がくっ付いては離れ、くっ付いては離れしてタンパクを作って結晶化されたり、ドーパミンのリセプターにいろんな分子がくっ付いては離れ、くっ付いては離れしてるのですが、ドーパミンがたまたまくっ付いて離れなくなったりと、いろんなものがグルグルと高速で混ざり合っている。その中から次の選択肢が起きてくる。
 おそらく一番典型的な形で我々が考えることができるのは夢です。海馬の専門家の池谷裕二先生がこういうふうなことを書いていて、すごく面白いなと思ったことがあります。夢では海馬が中心になって日中の体験を引き出し、その断片をでたらめに組み合わせる。例えば断片的な記憶に伝わり、それが時系列的にはABCDEという順番で起きたとすると、夢ではACEEABのような組み合わせを加味し、そこに新しい意味が生まれるかを検討する。
 
絵を作ってみました。真ん中の赤い部分が海馬です。日中の記憶ABCDEが夢を見ている間は、それらの要素は分解されてしまいます。要するに食べた物を分解するみたいなことが起きるんですね。そしてそれらが自由に組み合わされる。その間の組み合わせは、先ほど言った様々な物質が形成されるのと同じような形で組み合わせが起きている。そしてACEEABBADということが成立する。どうして我々が見る夢というのは昼間に起きたそのものではなく、いろいろなものが交じり合って、いろんなものがくっ付いたり離れたりしてとんでもない内容になっていくかということの一つの説明をするものです。そのうち何が意識によってピックアップされて、この絵はインパクトがあるということで夢の内容として顕在化されるかというのはわからないわけです。わからないんだけれども、先ほど言ったダーウィニズムが働いているのではないかと思います。

 それで思い出すのは創造的な過程です。例えばモーツァルトは交響曲の演奏会の当日の朝にスコア(総譜)が降ってきたというんです。それをモーツァルトは一生懸命書き写して、当時はコピー機がないからどうしたんだろうかと思うんだけど、スコアを配って演奏会を成立させたと言われています。その場合、モーツァルトの脳の中で起きていることは、完成系までいくようなものを無意識で作れてしまうということです。そうすると意識は必要あるのかという話にまでなってしまう。大変なことですね。