2017年7月7日金曜日

脳科学と精神療法 ⑥

ところでこの夢の話ってとても面白いと思います。夢の内容というのは細かい分析をすると半分以上は意味がないというわけです。それよりは夢というのはその夢の内容から連想したものを患者さんに語ってもらうということのほうが遥かに意味がある。夢の内容そのものに入っていって象徴的な意味を探るということにはあまり意味がない。こういうことが夢であって、その中で地理的な内容も出てくる。
 ポール・マッカートニーはイエスタデイができた経緯について、就寝中に夢の中でメロディーが浮かび、慌ててコードを探してスタジオで完成させたといいます。イエスタデイのコードというのは実はものすごく複雑で、私も学生時代に伴奏しようと思ってとんでもない目にあっていますけれども、よくコードを探せたなと思いました。夢の中にメロディーが出てきて、無意識にそれが作り上げられるということはすごい。ポールはあまりにも自然に浮かんできたから別の誰かの曲ではないかと思ってみんなに聴かせて回ったけれども、誰もこのメロディーを知らないと言われ、僕のオリジナル曲だと認識しましたとも述べています。彼の音楽的才能がここに表れていると思うのですが、彼の頭の中にあったたくさんのメロディーの断片をうまくつなぎ合わされて、生成され、それが一つの曲となって芸術的な価値をもったものとして結晶化された。その芸術的な価値に従って物語を突っついて夢の中の意識レベルで曲が聴こえたということです。
 ただしそんなこと言ったら夢の内容には全く意味がないのかと言われてしまいますが、そうではなくて、夢の中には昔あったトラウマみたいなものがそのままの形で出てくるということがあります。それは今言ったような合成みたいなことが行われずにできてきたものではないかと考えています。
 もしこの夢に現れた問題を自由連想についても当てはめた場合、次の疑問が出てきます。「自由意志は幻想なのか」。つまりそれはフロイトが考えたように患者の無意識を表現していると考えることが出来るのか、という疑問です。ここはちょっと危険なテーマなので最後に時間があったら話します。我々の自由意志というのは幻なのかということです。私がこうやって話しているのも、実は私はロボットで話をさせられているのではないかということになってきます。
 ニューラルネットワーク理論について少しお話しましょう。脳の仕組みを解明しよう、ということでいろいろなモデルができました。1957年にローゼンブラットという人が提唱したパーセプトロンの概念がありました。コンピュータは単純な処理を高速で行う。その能力は人間のそれを遥かにしのいでいる。一方で文字入力を認識したり、物体を認識したりという仕事はコンピュータにとって非常に複雑なものである。そのためにローゼンブラットはパーセプトロンという概念を作り上げた。


 これは入力層があって、出力層があって、hidden layer, つまり隠れ層があります。そうするとある信号は例えば図に示した緑色のアイコンを見た時に、最終的にこれは優先席だとわかるためにそこに至る経路に重みづけをし、つまりそれを強化することになります。またたとえば耳がちょっと大きくて、目が二つあって、ひげが生えていたら猫だというふうにパターン認識ができるようになる。パーセプトロンの議論が1950年代にローゼンブラットにより提唱されて、すごく流行ったそうです。しかしパーセプトロンの議論というのは一時廃れたそうですけれども、この間のAlphaGoでもってまた脚光を浴びるようになった。延々とこの議論は続いているということです。
 このパーセプトロンにちょうど対応するのが大脳皮質です。大脳皮質の場合、6つの層があります。そして下から情報が流れてきて、そこでいろんな情報処理が行われ、代部分の情報は上まで登らずに降りてきてしまう。だから知覚入力、感覚入力というのは大脳皮質に入っても意識に上らずに棄却されてしまうのですが、それはなぜかというと、新しいものがないといつものことだから注意に値しないとしてスルーしてしまうというわけです。いつもどおりの出来事に関する記憶は、どんどん無意識にしていくというわけです。これは無意識に関する新しい考え方ですね。
 さて大脳皮質というのは脳のいろいろな部分で若干違ったりするんですけれども、小脳皮質の場合には3層で、その構造はおおむね画一的で、実はコンピュータにそっくりだというふうに言われています。我々の脳の中で一番計算をしてもらっているのが小脳であって、そこでは運動の熟達みたいなことに関係していると言われていたが、実はそれ以外のことに関しても、何かに熟達して慣れて自動化していくというプロセスの中でもすごく大きな意味をもっているということです。小脳というのは心にも影響しているんだということが言われています。
 ジェフ・ホーキンスの「考える脳、考えるコンピューター」(ランダムハウス講談社、2015年)という本を読むと、この内容をすごく考えさせられるんです。私は大脳皮質というのは一体何をやっているのかと思っていたのですが、ホーキンスが書いた中に、大脳皮質に入ってきた情報は自動的に処理されていく。感覚入力を処理する際に、予測と異なる情報だけが上位に伝わる、とあり、目からうろこでした。例えば赤信号になったら車が止まるだろうということは、それが予測と同じように起きていた場合にはほとんど意識されずに忘れ去られていく。ところが、赤信号なのに車が止まらずに突っ込んできた場合、それは新しいこととして上位に伝わっていきます。この新しくて注意すべき情報はどこにいくかというと海馬です。つまり、大脳皮質の一番の上位は海馬ということです。皆さんに、一年前の自宅から職場までの道のりを思い出してくださいと言っても全然思い出せないはずです。ところが一年前のある日の通勤中に、横断歩道で誰かが倒れていたということがあると、それだけは新しいことだから海馬に最後まで残っている。海馬はそれを記憶として保持するわけです。大脳皮質の上に立つ親分は海馬。もちろん扁桃核もあります。予想外のことが起きてびっくりしたり怖かったりしたら、それは扁桃核も鳴らすわけです。大脳皮質、小脳皮質は常にこのような形でディープラーニングを行っているのです。

 この間、○大の学生さんにディープラーニングを知っているかと言ったら誰も知らなくて、囲碁で勝ったやつだと言っても知らなかったです。でも、精神科を生業としている人間の場合には、あれは大変なニュースです。AlphaGoはなんであれほど高い知能を備えたのか。パーセプトロンを巨大にして今起きていることを考えるべきですけれども、私はこの授業をしている時に、パーセプトロンとは別の比喩を思いついたんです。それはあみだくじです。