2017年7月12日水曜日

脳科学と精神療法 (推敲) 1

 皆さんこんにちは。私は最初に「最新の脳科学の知見と精神医療の融合」という御題をいただいたのですが、さすがにこれは荷が重い、ということで「脳科学と精神療法」に変えてお話をいたします。大体一時間ぐらいお話をして、それから質問をしていただく時間にしたいと思います。はっきり言ってどういうふうに話が進んでいくのか自分でも見当がつかないです。うまく私が思っていることを表現できるかちょっと自信がありません。
 その前に自己紹介を少しいたしますと、私は思春期、青年期の患者さんとの関わりというのは結構あって、メニンガークリニックで精神分析のトレーニングをしながら務めていたのが、州立精神病院の思春期病棟でした。思春期病棟というのは12歳から17歳までの子どもが対象で、みんな大変暴力的な、アグレッション満々の患者さんばかりで、いかに暴発した患者さんを一時的に隔離する保護室の使用回数を減らすことができるかということが深刻な問題でした。そこで私は思春期の子どもたちと格闘する毎日を3年間過ごしました。それから何年か青年期病棟に移って仕事をしましたが、青年期病棟は客層が全く違い、18歳を機に一気にそこは統合失調症の世界になるのです。脳の成熟がそこで問題となる精神の病にこれほど密接に関係しているのかと非常に勉強になりました。今日は私がその意味で脳科学と精神分析の両方に関心を持っている立場からのお話ということになります。
 今日の発表では、新無意識 new unconsciousをキーワードにお話したいと思います。精神分析に限らず、心理療法一般では、療法家はいろいろなことに因果論を持ち出す傾向にあります。「あなたのこの症状にはこういう意味がある」、「あなたの過去はあなたの今のこういう行動に反映している」みたいな意味づけをするということがすごく多いのです。漠然とした因果論や、根拠が不十分な象徴的な意味づけは、精神科医でも心理士でもある程度は避けられないでしょう。この因果論に基づいた思考には長い伝統があり、脳科学の知見とはなかなか融合しないという事情があります。精神科医となると薬を使うものですから脳科学的なことは十分わかっていなくてはいけないのですが、なかなか勉強する余裕がない。他方では臨床の場面での患者さんの振る舞い、言動というのは生もので、非常に難しくて複雑で混沌としている。そのような予想不可能な患者さんを扱うために、とりあえずは因果論、理由づけに頼ってしまうわけです。
 私の今日の話は、「結局脳のことはこんなにわからないんですよ」ということをたくさんお話しすることになります。ただ私達は漠然とではありますが、脳の働きを理解しつつあります。それを「新無意識、ニューアンコンシャス」という形で呼ぶようになって来ています。実はそのような題名の本が出版されています。そこで今日は、このニューアンコンシャスという考え方に基づいて眺め直そうということです。
 最近の脳科学の進歩は目覚しいものがありますが、何と言っても1980年代以降、脳の活動が可視化されるようになったということが大きいのです。機能的MRIPETなどの機器ですね。とにかく患者さんの心にリアルタイムに進行していることが脳のレベルでわかるようになってきている。最近、皆さんも注目なさっているかもしれないんですけれども、ディープラーニングがまたまた注目を浴びるようになってきています。なにしろコンピューターで絶対に人間を追い越すことはないと思われていた囲碁の世界で、アルファー碁が世界のトッププロのイ・セドルに勝ってしまった。それを通して、じゃあディープラーニングというのは一体なんなんだろうということが我々の関心を引くようになったわけです。ディープラーニングをするアルファー碁は、囲碁のルールは教わっていない。囲碁の何たるか、これが囲碁だ、ということを理解する、いわばフレーム問題をバイパスしているわけです。ただこう打たれたらこう打つ、こういう手に関してはこれがベターだという情報を星の数ほどインプットしている。そうすると囲碁の正しい手が打てるようになる。そこに教科書的な意味での学習はない。人間も実は学校以外では学習はしていないと私は思います。だって赤ちゃんは学校に通うはるか以前にたくさんの情報からこういうアウトプットがあり得るということを一つ一つ学んでいくわけですから。だから我々の頭というのはディープラーニングをするものなんだというふうに考えるとわかりやすい。それでもわかりにくいですけど。しかし他方で、我々の多くはフロイト流の考え方に従っている。私は分析家で、精神分析学会の運営委員でもありますが、精神分析の考え方の中で「これはどうかな?」と思うものに関しては言っていくつもりもあります。
 歴史的なことにも少しだけ触れます。200年前は脳の中というのは、亡くなった方を解剖して見るということでしかわからなかった。ブローカというフランスの医者が、失語症の人の死後脳を集めて剖検した結果、前頭葉の後ろのほうに欠損があった。そこでその部位をブローカ野と名付けました。ここが梗塞、あるいは事故などで破壊された時に失語が起きる。だからここに運動性の言語中枢が局在しているんだということがやっとわかった。大変なことだと思います。1800年までこういうことがずっとわからなかった。そして過去200年でなんと多くの知見を我々は得たのかということです。
 皆さんの中で気脳写という言葉をご存じの方はおそらく非常に少ないと思うんですけれども、私が精神科医になった1982年に、精神科のテキストを見たら、気脳写像というのが掲載されていて、脊髄から空気を入れると脳脊髄液の中を上がって行き、側脳室に空気が入っていき、それがレントゲンに映る。この一部が押しつぶされたり形がゆがんでいたりしたらそこに何かの塊があるのだろう、ということがぼんやり分かる。大変な時代ですが、その技術がいつまで存在したかはわかりませんけど、私が精神科医になった1982年にはまだ精神科の教科書にそれが載っていました。それほどまでに苦労して脳を可視化しようとしたわけです。
 このスライド(図は省略)も同じ精神科のテキストに載っているものですが、初期のCT画像はとてもぼんやりしている。出血している部分がようやく分かる、といった程度です。ところが最近はMRIで非常に鮮明に見え、それを皆さんはもう当たり前に思ってしまう。この例で分かるように、心がある働きをしている時に、脳のどこで何が起きているかということはうんとわかってきたんです。ただし、どことどこがどのようにつながっていて、どういう機能分化をしているかということになると全然わからない。全然というのは大げさかもしれないですけれども、わからないことだらけということは事情としてあるわけです。そこからいろいろ想像できることはあっても結局よくわからない。でも情報だけはどんどんぴったりくる、そんな時代なのです。
 このファンクショナルMRIの画像(省略)は、被検者が幸せに感じている時と悲しい時は脳のこんな部位が興奮していますよ、ということを示しています。幸せな時と悲しい時では興奮の場所が全然違うということは分かりますが、感情をつかさどる辺縁系以外にも、脳のいたるところに点々と興奮している部位というのは一体何を意味するのか。つまり、脳の中ではある一部がある機能を担っているのではなく、ある一つの感情、行動を成立させるために、脳にはいろんな部分の情報網やインプットがあるんだということがわかってきたんです。脳の機能がいかに複雑かということが我々に突き付けられているのではないでしょうか。
 ちなみに最初に断っておかないといけないのですが、私は精神科医であり、脳科学の専門家では全くないです。臨床医です。専門というと精神分析ということになってしまう。ですから私の脳科学の知識というのは非常に表層的なものです。するどい突っ込んだ質問はなるべくなさらないでいただきたい。
 脳の可視化が進んだ結果として、こんなことがあるということの例を挙げると、患者さんの訴える幻聴があります。我々は幻聴というのは幻であって気のせいだと考える人さえいたわけですが、幻聴の際に後頭葉の一次聴覚野の活動が検出されているということがわかりました。一次聴覚野には普通耳から入った信号が入ってくるわけですから、そこに興奮が見られるということは本当に声として体験されていたのだ、ということが分かったわけです。
 プラセボ効果やノセボ効果では実際に何が軽減したり低下したりするのか。例えば乳糖の錠剤、つまり薬効のない錠剤を飲んでもらって痛みが軽減した被験者がいると、それはプラセボ効果であり、この患者さんは気のせいで痛みが軽減しているだけだろうと思うんですけれども、fMRIで見ると皮質の様々な部位であたかも実際に鎮痛剤を飲んでいた時と同じような変化が起きていることがわかった。一体これはなんだ、ということになったわけです。私が個人的に面白いと思ったのは、安いワインを飲ませて、これは高いワインですと伝えると、眼窩前頭皮質が活動するというのがあります。そこは美味しさを感じた際に興奮する部位として知られています。つまり本当に美味しくなるということが起きてしまう。つまりプラセボ効果も本当に痛みが軽減することがあるということが、脳の活動の可視化によってはじめてわかるというわけです。ちなみにこのプラセボ効果は、脳内麻薬物質の拮抗薬であるナロキソンで低下することが分かっています。面白いですね。
 脳の可視化によって我々が何を教えられたかというと、患者さんの話をもうちょっと素直に聞きましょうということです。例えば患者さんが目が見えないと言いながら実際には障害物を避けて歩いているということがあります。これは精神盲という状態です。そうすると「あの人は本当は見えているんだろう」みたいに考えがちですが、脳科学的にみたら感覚的には見えてないんだけど、意識下には「ここには障害物がある」ということが情報として入ってくるわけです。このような傾向に対して、医療者側はずっと信じようとしなかったんです。繰返しますが、脳の可視化によってわかってきていることは、患者さんの言っていることは大概は本当だということです。脳科学の発展は、「患者さんの話により耳を傾けましょう」という教訓を生んでいるということになります。
 今日の発表は青年期の学会ということで、アスペルガー障害の脳の知見を少しご紹介したいわけですが、もちろん私は専門家ではありませんが、アスペルガー障害については非常に興味があります。アスペルガー障害というのは定型発達とは異なる脳の部位を使って情報が処理されていることが分かっています。彼らはわざとことさら人の気持ちがわからないように振る舞っているだけでではなく、実際に本当にわからないわけですが、そのような時は脳の別の部位を使っている。この画像をご覧ください。こちらが顔面の認識で、こちらが物体の認識です。
顔面の認識に関しては異なる部位がアスペルガー障害の場合に起きていることが示されています。皆さんも論文をご覧になったかもしれないんですけれども、右の下側頭回の活動が増えて、右の紡錘状回が減るということが起きている。要するに脳の違う部位を使ってアスペルガー障害の方は物を識別している。特に物ではなくて人の顔。つまり、たくさんの情報が入ってくるような「生もの」に関しては特にそのような傾向があるというわけです。アスペルガー障害はいわゆる共感回路 empathy circuit に障害があるとされます。それはVMPFC(腹内側前頭前野)です。この部分が、普通の人なら共感回路というふうな形で使われるんだけれども、アスペルガー障害の場合はここがうまく働かない。すると共感が難しいというのは脳の器質的な問題というふうに研究者が主張するわけです。
 以上いくつかの例を見ていただきましたけれども、脳の可視化が我々の脳の理解に及ぼす影響というのはそんなにないかもしれない。要するに可視化が進むことでいかに脳が複雑なのかということがわかったとしても、それ自体が脳の在り方をどの程度教えてくれるかと言えば、大したことはありません。あいかわらず謎だらけなのですから。しかしそれが精神療法に与える影響は大変大きかったわけです。なぜなら患者さんの訴えのうち、かなりの部分が脳科学的にみても可視化されることで、その信ぴょう性が深まったわけですから。
 これからニューラルネットワークとしての脳ということで今日一番お話したい内容に入っていくわけですけれども、まずはとっかかりはフロイトです。脳科学者としてのフロイト。彼は根っからの生物学者であり脳科学者であった。フロイトはニューロンを発見した何人かの一人でした。はじめは研究者を目指して実際にウナギの生殖器の研究などを行っていました。その後、ブリュッケ教授の下で研究を行った。彼は極めて典型的な決定論者でした。彼は φψという2種類の神経細胞があって、φの場合にはそこで信号の流れがせき止められ、ψの場合にはここを通過する。この2種類の神経細胞があるという仮定をもとに、そこから心の在り方を一生懸命組み立てようとしたんだけれども、さすがにこれだけでは全然無理でした。ヘルムホルツ学派の信奉者であったフロイトが依拠していたのはいわゆる水力モデル hydraulic modelです。つまり抑圧、あるいは抑制によってリビドーという一種の流体の圧力が鬱積すると不快になり、それが解放されると快につながるという非常にシンプルな理解の仕方をしています。フロイトの脳の在り方を絵にするとこんなふうになると思います。パイプがこのように並んでいる。脳の中のいろんな絵を持ってきたんです。
あるいはルイス・タルディという人の作品(省略)ですけれども、こんなレベルです。と言ったらフロイトは怒るかもしれませんが。