また最初に戻った
はじめに
はじめに
「ほめる」ということは非常にチャレンジングなテーマである。心理療法、とくに精神分析の世界ではタブーと言ってもいいだろう。精神分析の目指す自己の洞察というテーマとほめるとは、対極的ともいえる関係を有しているように考えられている。その背後には、洞察を得ることは苦痛を伴うことであり、一種の剥奪の状況下において達成されるという前提がある。
一般に学問の絡んだ領域には独特のストイシズムが存在する。安易な介入、安易な発想は回避されなくてはならない。人(患者、来談者、バイジー、生徒など)を褒めることは、あまりにその場しのぎで表層的であり、そこに学問的な価値はないと考えられる傾向にある。この考え方に類似するものを薬物療法に見出すこともできる。不安を解消したり、眠気を催したり、気分を持ち上げたりという作用の薬物を処方するとき、精神科医はどこかに後ろめたさを感じる。一時的に気分を解消する薬物は本来の治療を行っているということが出来るのだろうか? 薬物がある種の習慣性を可能性として有している場合には特にそれが顕著である。ベンゾジアゼピン系の抗不安薬や眠剤、バルビツール系の眠剤などは、一時の効果はあっても何度も使用することで恐ろしい耐性がついてしまう…。考えればほめる、にも同様のニュアンスが伴う。ほめるということは相手を甘やかすことで、それが習慣化すると取り返しがつかないことになってしまう、という考え方だ。
他方ではある種の目に見える結果を追及するような場合は、これとはかなり異なる考え方が支配しているようにも思える。かつてマラソンの小出監督は、選手のことを褒めてほめてほめまくる、というような表現をしていた(要出典)。