2017年6月10日土曜日

書くことと考えること 1

昨年の学会賞記念講演をまとめなおした。

書くことと考えること
                    
初めに

まずは今回このような栄誉ある賞をいただいたことについて深く感謝の気持ちを述べたいと思います。松木先生と私はこの賞の三番目の受賞者ということですが、小此木先生には大変ご恩があり、また一緒に受賞させていただく松木先生にも深いご縁を一方的に感じさせていただいています。まずは選考委員の先生方、分析学会の皆さまに深くお礼を申し上げます。
とりあえずこの受賞講演の題としては、「書くことと考えること」としました。私はよく「岡野さんは書くことが好きだね」といわれます。二年前に今は亡き丸田先生の受賞講演でも、そのようなお言葉をいただきました。しかし書くことが好きかと問われれば、ウーン、と考え込んでしまいます。書くのはおっくうだし、面倒くさい。私がものを書き出したころは、原稿用紙の束や万年筆や修正液と格闘していました。1985年冬の忘れもしないワープロの出現でかなり楽になりましたが、それでも机に向かって作業をしなくてはなりません。寝転がって原稿を作成することは出来ないのです。だから私にとって書くことは楽しいこと、というよりは苦楽しい(くるたのしい)ことという感じです。
 しかし「考えることは好きか?」と問われれば、「ハイ」と即答すると思います。考えることは、散歩をしていても、通勤途中でも、それこそ眠りに入る前の数分間でもできます。一切筋力を動かす必要がありません。ある講演のテーマについて考える必要があるときなど、布団に入るのが結構楽しみになります。眠りにつくまで、ずっと考える時間を与えられるからです。寝付くまで時間がかかりそうな夜は、「やった!」という気持ちです。ただし結局はすぐ寝入ってしまいますが。たまにカミさんの長い買い物に付き合うときなどももっぱらこの作戦で行っています。ともかくも考えることによりそれまで疑問に思っていたことについての思考がまとまり、運が良ければ「分かった、一歩前進した」という気持ちになれるのはうれしいことです。

その考えるテーマは主として人の心についてですが、宇宙の由来とか物質の由来、生命の誕生や進化についてなどテーマは様々です。この間も散歩をしていて急に、「パーセプトロン(神経科学の用語です)は一種のあみだくじに例えられるのではないか?」と考えついて夢中になりました。しかし一番面白いのは人の心、自分の心です。その意味では一日に出会う人との交流はすべて考えるネタにしています。それは患者さんでもあり、同僚でもあり、配偶者でもあり、私の両親でもあります。