6.「精神分析理論の展開」以後の動向とミッチェルの独自性の強調
関係精神分析の運動を推し進め、大きな流れを形成する原動力となったのはなんと言ってもミッチェルであり、その動きの中で、関係精神分析と対象関係論との間に一線が画されて行ったと考えるべきであろう。
ミッチェルは「関係性の概念」を含む3冊の著作を次々と発表し(18,19,20)、アメリカ心理学会のディビジョン第39部門(division
39)やニューヨーク大学のポスドクにおける関係精神分析にもとづくプログラムを作り、機関紙「精神分析的ダイアローグPsychoanalytic Dialogues」を作り上げた後に、あたかも生き急いでいたように2000年のクリスマスに急逝した。そしてその喪が明けるとともに、国際的組織IARPP(The International
Association of Relational Psychoanalysis and Psychotherapy、関係精神分析と関係精神療法の国際協会)が形成された。つまり関係精神分析は国際学会として正式な形で産声を上げたのである。
他方「精神分析理論の展開」の共著者であるグリンバーグとは見解のずれが生じたようである。グリンバーグは「精神分析理論の展開」の後に単独で著した「Oedipus
and Beyond 」(7) の中で、「精神分析理論の展開」でミッチェルと共に最初に批判したはずの欲動の概念を再び採用する考えを表明している。そして「果たして欲動という考えを持たずに人の心に関する理論が形成されるべきか」と逆に問い直し、「関係性論者は葛藤という概念について特に弱い」と、あたかも自らは部外者であるがごとき書き方をしている(P89)。