5.関係精神分析の端緒-グリンバーグ, ミッチェルによる新しい提言
関係精神分析はいつから始まったのかという問いに対する答は単純ではないが、それを象徴するような、エポックメイキングともいえる出来事は確かにあった。それが1983年のグリンバーグとミッチェルによる「Object Relations in
Psychoanalytic Theory」(直訳すると「精神分析理論における対象関係だが、邦語訳名は「精神分析理論の展開」であり、以下この名前で呼ぶこととする))の出版である(Greenberg, Mitchell. 1983)。私がメニンガー・クリニックMenninger Clinic に留学した当時、特徴のある焦げ茶色のカバーの分厚い本がどのスタッフのオフィスの本棚にも見られたのを思い出す。それほどアメリカの精神分析ではこの本が熱狂を持って迎えられたのだ。(他方ではわが国における「精神分析理論の展開」の人気は芳しくない。この翻訳書が現在絶版となっていることが何よりその証拠と言えるだろう。)
「精神分析理論の展開」はフロイトにはじまり、クラインやフェアバーンに引き継がれていった精神分析の流れを網羅的に概説し、その中で対象関係論的な流れが生まれ、発展した経緯について網羅的に解説した労作である。すでに述べたが、その中で彼らが定式化した欲動・構造モデルと、関係・構造モデルの「関係」という用語が、その後の関係精神分析へと発展することになった。メニンガーのようなどちらかといえば保守的な色彩の強いクリニックでも本書が広く読まれたということは、サリバン派を精神分析理論として認知し、対象関係論に含めるという考えがさほど抵抗なく受け入れられる土壌が出来上がっていたことになろう。
さて関係精神分析の始まりを「精神分析理論の展開」から見出そうとしても、一種の肩透かしを食らうことになる。それは二つの意味においてである。一つは、関係精神分析という言葉はこの書にはまだ出てこないからだ。この本では依然として対象関係理論のことを論じている。そもそも「精神分析理論の展開」の原題は、「精神分析理論における対象関係Object relations in
Psychoanalytic Theory」であることに注意したい。そう、この本は形の上では対象関係理論の本だったのだ。ただ関係を重んじる立場としてフェアバーンとサリバンにそのエッセンスを見出したことの意味は大きい。それにより対象関係理論の本流とも言うべきフェアバーンの理論に、在野のサリバンの自然さや自由さが自然と合流した形でその理論に新規さや発展性が生まれたのである。そして著者の二人がおそらく持ち続けていたであろう願望、すなわちサリバン派をアメリカの精神分析の本流につなげたいと言う希望もおそらくこれによりかなえられたことになる。明らかに二人の作戦勝ちである。