3.古典理論から関係精神分析への橋渡しとしての対象関係論
関係精神分析がフロイトの欲論的な考えに対するアンチテーゼとして出発した経緯については既に触れたが、同様の主張をいち早く行ったのは英国に端を発した対象関係論であった。フロイトは基本的には理科系の人間であり、人間の精神を機械論的ないしは本能論的な視点から捉え、対象とのかかわりも結局はリビドーの満足を目指したものであるとみなす傾向があった。彼は何よりも科学者として、精神分析を一つの学問体系に仕上げることに懸命であった。その場合必然的に治療とは一種の実験的な色彩を伴い、患者はその実験の対象であった。もちろんフロイトはヒューマニスティックな側面も併せ持ち、それを人類の発展に役立てたいとは思っていたが、そこに情緒的にかかわるという志向性は薄かった。そして彼にとって治療とは患者の欲動の処理に伴う病理に対処するものとされ、その意味で典型的な一者心理学といえた。
英国においてイアン・サティIan Suttie やメラニー・クラインMelanie Klein, ロナルド・フェアバーンRonald Fairbairn らにより始まった英国対象関係論の中心的な視点は、「対象にかかわろうとする主体の欲求が中心的立場を占める」(24)ことであり、その点でフロイトのこの欲動論的な立場と一線を画しものであった。
ただしそれとは別に、フロイト自身の理論形成の中に対象関係論的な視点が芽生えていたことは、フロイトの理論をわが国に導入することに貢献した小此木啓吾が繰り返して強調していた。フロイトのその側面はメラニー・クラインに受け継がれ、フェアバーンやガントリップ等に多大な影響を与えたのであった(23)。小此木によれば、フロイトの精神分析的な認識の根源は「心的現実性」であり、それに基づいた超自我形成論こそ、フロイトにおける対象関係論の出発点であった。例えばエディプス・コンプレックスをめぐって生じる心的機序を考えれば、父母への同一化と、それにより内在化された父母像が超自我となると説明された。さらには超自我の過酷さも、子供が持つ内的な破壊性(死の本能)の投影されたものであるとする。そして「悲哀とメランコリー」(2)に見られる内的対象の議論もまた対象関係論の萌芽となった。
このようにクラインの理論が実はフロイト自身の対象関係理論に大きく触発されたものであり、そのフロイトが心的現実を非常に重んじた以上、それは結局は対象関係論自身を大きく規定ないし限定するものでもあったといえるのだ。つまりはフロイトに対するアンチテーゼを唱えたはずの対象関係論も、ある意味ではフロイト理論の特定の側面と同根であり、そこで重んじられたのは内的世界および内的対象の概念ではあっても、現実の対象ではなかったのである。この点が、対象関係論が同じリビドー論に対するアンチテーゼとして始まった対人関係論と典型的に異なっていたのである。
4.サリバンと対人関係学派
先に述べたグリンバーグ と ミッチェルは対人関係学派の拠点ともいえるニューヨークのホワイト研究所(William Alanson White Institute)の出身である。関係精神分析が生まれる切っ掛けとなった「精神分析理論の展開」が、彼らがホワイト研究所で用いていた教材から生まれたという経緯を考えると、関係精神分析の萌芽は対人関係学派にあり、その源流はハリー・スタック・サリバン Harry Stuck Sullivan その人にあったとも言えよう。
サリバンは米国で統合失調症との治療的なかかわりを通して独自の理論や治療観を生みだす一方では、当時のドイツ精神医学のクレペリンKraepelinに見られる理論的、科学主義的な姿勢を批判した。サリバンはフロイトからも大きな影響を受けたが、同時にその中にクレペリンに見られる科学主義を感じ取り、それに対する疑義を持っていたことが伺える。
後に関係精神分析に継承される形で再評価されることとなったサリバン派の理論が、アメリカの精神分析では長い間亜流に位置づけられていたこととは特筆に値する。サリバン派は在野にあるものにのみ許される理論的な自由度や独自の主張を獲得していたのである。サリバンは正式な精神分析のトレーングを経ることなく、それだけその伝統に縛られることも少なかった。そして不安を基にした独自の精神病理を考え出すとともに、現実の患者との生きたかかわりを強調し、「関与しながらの観察participant observation」という言葉を残した(26)。彼が主として扱った患者が統合失調症の患者であったことも、その理論形成や治療観に深い影響を及ぼしていたと考えられる。
前述のようにフロイトから対象関係論者にいたる内的現実の重視の傾向が、精神分析の基本的な視点であるならば、サリバンは現実の患者との関わりを何より重んじていたという意味で、いわば精神分析のもっとも重要な部分を換骨奪胎しており、その意味では伝統的な精神分析の立場からの距離は明らかであった。
サリバンに代表される対人関係学派が対象関係理論とどう違ったかについて、エドガー・レベンソンEdgar Levensonは次のように表現している。「違いは見掛けの背後に現実を見るか、見かけに現実を見るかの違いである、という。これも決定的に重要なのだ(12)」。つまり背後に物事の本質を見るか、現実のかかわりそのものに本質を見るかという点で、サリバン派の姿勢は対象関係論を含めたフロイト理論とは明らかに一線を画していたのである。
それにもかかわらずサリバン自身はクララ・トンプソンClara
Thompsonを通じて精神分析理論から学ぼうとする姿勢を保ち、精神分析学会との関係をむしろ望んだとされる。彼らは実に9年間ほど、彼らのホワイト研究所における研修がアメリカ精神分析協会に認可されるべくアプローチを続けたというが、結局受け入れられなかったと言われる(28)。