2017年4月24日月曜日

トラウマと精神分析 ③

 ということですでに示したこのカンバーグの文章のオリジナルを探したのだが、どうしても見つからないのだ! 私は幻の文章を読んだのだろうか?一番近そうな文章を探して、Otto F. Kernberg:Unconscious Conflict in the light of Contemporary Psychoanalytic Findings Psychoanalytic Quarterly, 2005 という論文を見てみたが、彼の主張は結局はあまり昔と変わっていないのだ。ただし最近のトラウマ理論とか脳科学をしっかり引用している。それでいて結局は原初的な攻撃性の話に向かってしまう。結局彼は懲りてはいないようだ!!・・・仕方がない。カンバーグの引用はやめにして、先に進もう。

関係精神分析の発展とトラウマの重視

 伝統的な精神分析理論はトラウマ理論やトラウマ関連障害の出現により逆風にさらされることとなった。精神医学や心理学の世界で近年のもっとも大きな事件がトラウマ理論の出現であった。1980年のDSM-IIIでPTSDが登場し、社会はそれから20年足らずのうちにトラウマに起因する様々な病理が扱われるようになった。国際トラウマティック・ストレス学会や国際トラウマ解離学会が成立した。現代的な精神分析(関係精神分析)は「関係論的旋回」を遂げたが、その本質は、トラウマ重視の視点であったといえる(岡野)。
 現代的な精神分析における一つの発展形態として、愛着理論を取り上げよう。愛着理論は全世紀半ばのジョン・ボウルビーやルネ・スピッツにさかのぼるが、トラウマ理論と類似の性質を持っていた。それは精神内界よりは子供の置かれた現実的な環境やそこでの養育者とのかかわりを重視し、かつ精神分析の本流からは疎外される傾向にあったことである。乳幼児研究はまた精神分析の分野では珍しく、科学的な実験が行われる分野であり、その結果としてメアリー・エインスウォースの愛着パターンの理論、そしてメアリー・メイン成人愛着理論の研究へと進んだ。そこで提唱されたD型の愛着パターンは、混乱型とも呼ばれ、その背景に虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。(ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳 (2016) 身体はトラウマを記録する―脳・心・体のつながりと回復のための手法 紀伊国屋書店)
 最近精力的な著作を行うアラン・ショアの「愛着トラウマ」の概念はその研究の代表と言える。ショアは愛着の形成が、きわめて脳科学的な実証性を備えたプロセスであるという点を強調した。ショアの業績により、それまで脳科学に関心を寄せなかった分析家達がいやおうなしに大脳生理学との関連性を知ることを余儀なくされた。しかしそれは実はフロイト自身が目指したことでもあった。

トラウマ仕様の精神分析理論の提唱
 以下にトラウマに対応した精神分析的な視点を提唱しておきたい。それらは


1. トラウマ体験に対する中立性
2. 「愛着トラウマ」という視点
3. 解離の概念の重視
4. 関係性、逆転移の視点の重視
5. 倫理原則の遵守
の5点である。

 第1点は、トラウマに対する中立性を示すことである。ただしこれは決して「あなたにも原因があった、向こうにも言い分がある」、ではなく、何がトラウマを引き起こした可能性があるのか、今後それを防ぐために何が出来るか、について率直に話し合うということである。この中立性を発揮しない限りは、トラウマ治療は最初から全く進展しない可能性があるといっても過言ではない。
 第2点は愛着の問題の重視、それにしたがってより関係性を重視した治療を目指すということである。フロイトが誘惑説の放棄と同時に知ったのは、トラウマの原因は、性的虐待だけではなく、実に様々なものがある、ということであった。その中でもとりわけ注目するべきなのは、幼少時に起きた、時には不可避的なトラウマ、加害者不在のトラウマの存在である。私が日常的に感じるのは、いかに幼小児に「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受けることがトラウマにつながるかということだ。しかしこれはあからさまな児童虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションであり、母子間のミスマッチである可能性があります。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。