2017年4月24日月曜日

関係精神分析入門 ②

4月10日の続きである。

フロイトの何を問題視しているのか?


 まず関係論が始まったきっかけについての議論なのですが、おそらく一番問題とされたのは、理論と現実の齟齬、ということでしょう。フロイトの理論に従えば治療がうまく行くのであれば、全く問題がないわけです。ところがそうではなかった、というよりはそうではないケースがたくさんあることが分かったのです。
 フロイトの理論の根幹部分は、治療者が受け身であることで、患者の無意識が自然に展開していく、という考え方です。実は私自身まさにそのようなケースを体験しています。私が黙って聞いている一方で、病理が展開していく。このような考え方と真っ向から対立するのが、臨床場面においては何が起きるかわからない、あるいは新しい何かが創造されていく、という考え方です。この二つの考え方は全く対立し、本来は両者が少しずつ存在しているにもかかわらず、どちらかに偏った見方がなされることが多い。
 もちろん非常に治療的なセッションが、治療者の方が黙って話を聞いていくうちに展開していくということもあるでしょう。ただしそこでも何かが両者の中で起きていて、それは何かが醸成されていく、創りだされていくというニュアンスなのです。少なくともフロイトとは違うことが、両者の間の、いわばブラックボックスの中で起きてくる。それを直視しようという考え方が出現しました。対人関係論も、対象関係論も、そのような流れだったと思います。

従来の関係精神分析のたどった(道中略)

 さてこのお話の後半は、新・無意識についてお話しします。