2017年4月30日日曜日

神経科学と心理療法 最終稿

頑張って仕上げた。富樫さんを引用させてもらった。頼もしい分析家である。        

  神経科学と心理療法


 近年の神経科学の発展には目覚ましいものがある。PET(陽電子放射断層撮影)やfMRI(磁気共鳴機能画像法)等の脳機能イメージングの技術の発展とともに、得られる実証的なデータは膨大である。それとともに私たちは心の働きと照合されるような脳の活動をリアルタイムで追うことが出来るようになってきている。
 しかし私たちが日常的に行う心理療法は、その脳科学的な進歩に見合うほどの発展を遂げているとは言い難い。臨床家は依然として素朴な因果論や象徴理論に依拠する傾向にある。その意味では脳科学時代の心理療法は、その両者の有効な架け橋が欠如しており、あるいは前者の成果が後者にほとんど反映されていないことが特徴といえよう。
 本稿では現代の脳科学が示す心の在り方から心理療法について考えるが、最近の脳科学的な知見を網羅することは不可能なため、本稿では心の非線形性という文脈に限定して論じよう。

脳科学の進歩が示唆する心の在り方

 最近の脳科学は心についての新しいモデルを提供している。フロイトは精神分析の理論を提示した際に、心についての明確なモデルを打ち出した。ただし当時の脳科学の知見は極めて限定されていた。フロイトは中枢神経系がニューロンという微小な単位により構成されているということのみを手がかりにして、リビドーの概念を元に心のモデルを構成したが、その時代ではそれが限界であったといえる。現在の脳科学が示す心のモデルの代表的なものは、ニューラル・ネットワークモデルに依拠したものであり、そこで繰り返し示されるのが、心の複雑系としての振る舞いであり、精神活動の持つ非線形性である(Rose, Schulman, 2016)。非線形性とは原因と結果の大きさに直線的な対応関係がなく、心に働くいかなる原因も、いかなる種類や大きさの結果をもたらすかは基本的には予測不可能であるという性質をさす。その心の性質は脳の活動が安静時においてすでに見せるいわゆる「通時的な不連続性」(Northoff, 2016)という性質によっても間接的に裏付けられている。
 このような心の捉え方は、従来の伝統的な精神分析理論にはあまりなじまないものである。分析治療においては治療者が患者の連想内容からその無意識内容を見出し、それを解釈として提供する。それは抵抗に遭いつつも徐々に患者に洞察を導く。そこには心がある種の連続性を有しつつ展開し、無意識内容が徐々に意識化されていくプロセスを前提しているために、「漸成的な想定epigenetic assumption」(Rappaport, Gill, 1959, Galatzer-Levy, 1995)とも呼ばれている。
 従来の精神分析理論においては、分析作業とはすでに無意識に存在している欲動やファンタジーを発掘する作業として捉えるという考え方に基づいていた。しかし最近の分析理論においては、無意識内容はむしろ臨床場面において生成されるという、いわゆる構成主義的な考えが提唱されつつある。それらは分析において解釈によりそれまでの「未構成の経験 unformulated experience」(Stern,2003, 2009) や「未思考の知 Unthought known」(Bollas, 1999) が生まれるという考え方に反映されているが、これらは事実上心の非線形的な在り方への注目ともいえる。
 心の持つ非線形性の一つの表れとして、サブリミナル・メッセージの例を挙げよう。私たちの心は意識されないほどの短時間の視覚入力により大きな影響を受ける。Bargh (2005) の研究によれば、たとえば「協力」に類する単語と、「敵対」に類する単語をそれぞれ別のグループの被験者にサブリミナルに提示した後に、他者との協力あるいは競合が必要となる課題を実施すると、前者のグループでは協力的な行動が増加し、後者では敵対的な行動が増加するという。あるいは老人に関係した、たとえば白髪とか杖などをサブリミナルに提示すれば、記憶テストの成績が低下したり,実験終了後にドアまで歩いていくスピードが遅くなったりするという。これらの研究の一部には、再現不可能との批判もあるものの、私たちの心の働き方の一側面を捉えていることは確かであろう。私たちの心は実に様々な内的、外的な刺激を受け、その時々で予測されなかった言動をとるものの、それを因果論に従ったものであり主体的に選択したものと錯覚する傾向にあるのであるBargh (2005)。
 非線形的な心のモデルが示す治療方針

上述した非線形的な心のモデルは、様々な意味で心理療法のあり方にヒントを与える。このモデルでは心の連続性や内的外的な諸因子との因果関係はあくまでも限定的なものとしてとらえられる。治療関係の在り方は、二つの複雑系の間の交流であり、互いの言動や無意識的レベルでのメッセージが互いに影響を及ぼし合う、一種の深層学習のプロセスであると考える。治療者が行う介入は、意図せざる要素を多く含むエナクトメントとしての性質が強く、患者に及ぼされる影響も正確な予想は不可能になる。
 このような心の非線形的なあり方との関連で富樫(2011)は、従来の精神分析理論では、治療者と患者の関係を一つの閉鎖系と見なし、そこで生じたことが主として転移の反映としてみなす傾向にある点を指摘する。実際には治療関係とは開放系であり、患者を取り巻く様々な関係性や外的要因との動的な相互作用が生じている。
 筆者は個人的にはこのような治療の在り方は関係論学派のI.Z. Hoffman (1998) により提案されている弁証法的構成主義の見方により包摂されているものとみている。この理論は治療関係において生じるものは常に過去の反復の要素(「儀式的 ritual」 な側面)と、新奇な要素(「自発性spontaneity」の側面)との弁証法であるという見方を唱える。このうち後者が心の非線形性により生じる心の予測不可能性に対応する。もし治療場面において生じることをこのように弁証法的に捉えた場合、治療者は患者の無意識を解釈したり将来を予見したりする役割から離れ、患者と共に現実を目撃し体験する立場となる。
 複雑系として臨床状況を捉えることは、そこに何ら確かなことは見いだせず、治療の行方も不可知である、という悲観的な見方を促すわけではない。むしろ治療場面における偶発性や不確かさを患者と共に生きることの意義を見出すような治療者の感性を育てるという意味を有するのだ(富樫、2016)。そしてそこで否応なしに関わってくるのが治療者の主観性という要素である。治療状況が刻一刻と展開する中で両者が様々な主観的な体験を持っていることは確かなことであり、治療関係は二人の主体のかかわりであるという了解から出発することで新しい治療の在り方が考えられるであろう。実際に間主観性理論の立場や関係精神分析では、両者の主観に基づく治療論が提唱されている(Benjamin, 2005, Stolorow et al, 1987)。ただしそこで具体的に考えられる治療的なかかわりのあり方については、紙幅のために別の稿に譲りたい。

参考文献

Bargh, JA (2005) Bypassing the Will: Towards Demystifying the Nonconscious Control of Social Behavior, (in) R. R. Hassin,, J. S. Uleman, & J. A. Bargh (Eds.) The New Unconscious. Oxford Press.
Benjamin, J (2004) Beyond doer and done to: An Intersubjective view of thirdness. Psychoanalytic Quarterly, LXXIII, 5-46.
Bollas C (1999) The mystery of Things. London: Routledge (館直彦・横井公一監訳(2004)精神分析という経験 -事物のミステリー.岩崎学術出版社.)
Galatzer-Levy, RM(1995)Complexifying Freud: Psychotherapists Seek Inspiration in Non-Linear Sciences.: John Horgan. Scientific American. 273, 1995. Pp. 328-330.  Hoffman, I.Z. (1998) Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London.
Northoff, G(2016)Neuro-philosophy and the Healthy Mind: Learning from the Unwell Brain W W Norton & Co Inc(高橋洋翻訳 脳はいかに意識をつくるのか白楊社2016年)
Rapaport, D., Gill, M.M. (1959). The Points of View and Assumptions of Metapsychology. Int. J. Psycho-Anal., 40:153-162.
Rose, J, Shulman, G eds. (2016) The non-liner mind-.psychoanalysis of complexity in Psychic Life. Karnac.
Stern, DB (2003) Unformulated Experience: From Dissociation to Imagination in Psychoanalysis. Routledge. (一丸藤太郎、小松貴弘訳(2003)精神分析における未構成の経験―解離から想像力へ.誠信書房)
Stern DB (2009) Partners in Thought: Working with Unformulated Experience, Dissociation, and Enactment Routledge(一丸藤太郎監訳, 小松貴弘訳 (2014) 精神分析における解離とエナクトメント 対人関係精神分析の核心創元社.)
Stolorow, RD, Brandchaft, B, Atwood, GE (1987) Psychoanalytic treatment: An intersubjective approach. The analytic press, Hillsdale, NJ. (丸田俊彦訳 (1995) 間主観的アプローチ―コフートの自己心理学を超えて.岩崎学術出版社.)
富樫公一 (2016)「ポストコフートの自己心理学」精神療法. 42:320-7.
富樫公一(2011)関係精神分析と複雑系の理論 岡野ほか著 関係精神分析入門―治療体験のリアリティを求めて. 岩崎学術出版社、第13章.