2017年5月1日月曜日

父の思い出 3

 私は職業柄、父親の頭の中で何が起きているのかが気になる。父親は今の段階では、おそらく今日は何年何月かを聞いても非常に怪しいであろう。息子である私の名前すら怪しいものだ。長谷川式だとかなり低い値が出るだろう。10以下であることは間違いない。しかしもちろん「今日は何月何日?」などと聞くようなことはしない。親父(呼び方が変わった)はそれにこたえられない自分を情けなく思うだろう。認知症とは不思議な状態である。当たり前の質問に答えられないことが恥ずかしいという感情や認識は残っているのだ。しかしおそらく認知能力としてはかなり高度のレベルを必要とするであろう囲碁を打っているのだ。あたかも急に囲碁マシーンのように。
 そうこうするうちにゲームは進んでいく。もちろん私はまじめに打っている。30年前に囲碁を打った親父はとてつもなく強く、(そして私はとてつもなく弱く)盤上の黒石をすべてとられても全く不思議ではなかった。私にはその時に父親が3日後に亡くなることは知らず(そう、そうなったのである)、つい昔の感覚に戻り、いつ彼の白石が私を追い詰めて一群の黒石を殺しにかかるかと思うときが気でない。もうすっかり耄碌したはずの父親は突然とんでもない強敵に感じられたのである。とはいえ父の石の置き方にはふと疑問がわくこともあった。私が星を置いた隅の三々に無理やり入り込む。いくらなんでもそこでは生きられない体勢だ。ところが隅に白石を三つ並べてもう生きたつもりになっている。高段者だったら絶対ありえないような勘違いである。そのうち黒に囲まれると、「生きはないか・・」などとつぶやく。私は目の前の対戦相手が強いのか弱いのかが全く分からなくなった。結局私が六目ほど勝ったが、先手コミを考えるとどっこいどっこいだろうか? 
 私は複雑な気持であった。碁が終わると親父はまたぼーっとした表情に戻った。私は「これからは相手をしてもらいにもっと頻繁に顔を見に来よう」と思った。高段者のオヤジに十三面板、先手とはいえ勝ったということも正直嬉しかった。彼が三日後にはお迎えが来るほどの、ろうそくの炎が今にも消えそうな状態であり、おそらく彼がかつて持っていた棋力の百分の一ほどを注いで打っていたことなどつゆ知らず、そんな呑気なことを考えていたのである。
 ゲームが終わり、私たちは父親をあまり疲れさせないために、とそそくさと帰る支度をした。これまでは帰り際にはよろよろと玄関にまで見送りに来る親父は、この日に限ってそのような動きをしなかった。「きっとヘボ碁の息子にまで負けてショックだったんだろう・・・・」
 親父の突然の死の知らせを受けたのはそれから3日後だった。明け方にトイレに立った後崩れ落ちてそのまま亡くなったらしい。ホームで最後に見回りをしたときは寝息を立ててベッドで寝ていたという。私は父と濃厚な時間を過ごすことが出来たという幸運を改めてかみしめることになった。言葉を交わせば一言二言で終わってしまい、あとは所在無くそこに立っているしかないのに、碁盤を介してなんと贅沢な対話を持つことが出来たのであろう。私は半ば冗談で妻に言う。「やはりあの時に追い詰めちゃったのかな・・・・・」親父は失意で生きる気力が失せてしまったのだろうか? しかしもう一つのシナリオが浮かぶ。こちらはあり得ないシナリオの方だ。親父はいつまでたっても上達をしない息子に花を持たせてくれたのだ・・・。もちろん親父はその時そこまで忖度することはできなかったのだろう。でも自分でも不思議だが、本当にあの十三面板の碁に勝ててよかったと思う。彼から大きな遺産をもらったような気がする。(それにしても親不孝な息子だ。) おしまい。