2017年4月26日水曜日

共感と解釈 ③

 そこで私はもう一つのタイプのモティベーションとして、2.「説明してもらう」が登場する。これはある意味では治療者をより本格的な精神療法過程へと引き込むことになる。これは要するに自分に起きていることを、言葉で表現することで頭に収めたいということだが、要するに物事の因果関係を明らかにするということだろう。因→果の図式ほど頭にすっぽりおさめやすいものはないからだ。そしてそのためにはどうしても言葉が必要になるのだ。
「いま私には何が起きているの?」
「私はどうしたらいいの?」
すべてのせっぱつまった疑問に対する答えは、ある種の因果関係を示すことなのだ。「AだからBが起きたんだよ。」するとそれだけで納得でき、心に収めることが出来る。その中にはたとえば「起きたことは大したことないから、心配することないよ」単なる気のせいだよ。
 浅田真央さんが引退すると言うことで、ちょっと前にメディアでいろいろなシーンが流された。を送り出すときの佐藤コーチ。何かを言っている。よく聞くと「メダルを取ることなんでいいんだ。とにかく自分の演技をしなさい。これまでの自分を信じるんだ。」という言葉が聞こえた。真央ちゃんはそれを真剣に聞き、納得してリンクの中央に向かって滑り出していく。あの言葉は何だろう? 今流行の言葉で言うナラティブである。一つのまとまった意味。それは私たちに安心感を与える。それがないと不安でいられないのだろう。事前は、人生はまさにカオスのふちにある。何が起きるかわからない。本来はとても怖い世界であることを実は私たちは感覚的に知っている。そのときに一つでもそこに意味を見出すことで安心する。何となく体がだるい。何が自分に起きているのだろう?ふとのどの痛みに気がつく。熱も少しある。「そうか、風邪なんだ」と納得する。「おそらく風邪だろう」はそれより悪性の、場合によっては致命的な何かではなさそうだ、という安心感を与えるのだ。
 しかしそれにしても昔の人たちは大変だったはずだ。たとえば日食が起きて急に空が暗くなったとしても、不吉な出来事の前兆とされたのである。今の私たちだったら意味のないこのナラティブは、おそらく日蝕に関する科学的な説明、つまり何年かに一度起きる天体現象であり、無害であるというナラティブに取って代わることで私たちを安心させてくれたわけである。