2017年4月18日火曜日

精神分析における関係性理論 ②

 「第3章 関係性理論は心理療法の実践をいかに変えるか――古典的自我心理学と比較して」では、関係論的な枠組みにより治療がどのように変わるかについての具体的な論述がある。それは自由連想や解釈についての基本的な考え方の再考を促す。そこで強調されるのが、古典的精神分析における「辿り着く唯一の真実」の措定である。関係性理論においてはそれを前提とせず、その代りに措定されるのが、患者の中でいまだ構成されていない解離された自己である。ブロンバーグらにより近年提唱されているこの概念は関係性理論における一つの重要な概念と言える。  
「第4章 精神分析における対象概念についての一考察 ――その臨床的可能性」と「第5章精神分析における時間性についての存在論的考察」は本書の他の章と趣が異なる。両者とも精神病理の学術誌に掲載されたもので、対象の概念、および時間の概念に関するより詳細な理論的考察であり、哲学出身の著者の真骨頂ともいえる。第4章の骨子を述べるならば、フロイト自身の理論の変遷の中に、対象概念の変遷が見られたが、それを内在化のプロセスに従って(1)外的対象、(2)内的対象を1,2,3の3種類に分けられる。特にこの(2)-2は自我機能を一部になった内的対象として特にボーダーライン水準の患者に診られ、Ogden が「半ば自律的な心的機関」と呼ぶものに近づくというが、この議論は臨床的にも非常に興味深い。著者はさらにブロンバーグなどの「対象の多重化の概念」に言及され、対象の概念が関係精神分析で一つの焦点となっている点が示される。
  第5章における時間論をハイデガーの時間論を引き合いにして論じる。そこでは主としてレーワルドとストロローが登場する。ストロローは自らの外傷体験をもとに、それが生む肘陥穽について論じる。そしてさらなる存在論的時間論を展開する論者として再び登場するのがブロンバーグである。彼は多重性、「非直線性」(非線形性)を掲げ、その中で時間についても「非直線的な多重の自己状態」と唱える。すなわち自己の非直線性は情緒的外傷をこうむることで自己の中の一貫した歴史から外れた体験として生じる。それが解離された体験として説明されるのだ。
  「第6章 関係性と中立性―治療者の立つ所という問題をめぐって」では、比較的詳細な臨床例をもとに、伝統的な精神分析における中核概念としての中立性やエナクトメントについての考察がなされる。ある日筆者はいつもは用いるノートを忘れてセッションに臨み、いつもは従順だった患者がそれを指摘する。そして筆者がそれをあいまいに返したことで患者がそれを「嘘をついた」と咎めるというやり取りが描かれる。そこで筆者は過度に謝罪的にならず、かといって正当化したりもせずに「両価的で葛藤にみちた存在として」患者の前に立ち現れる。そして治療の場を葛藤を内的に扱える能力を育てる場として表現する。筆者はこのかかわりを中立性に代え、あるいは超える関わりとして示しているのである。