2017年4月19日水曜日

書評 精神分析における関係性理論 ③

「第7章 行き詰まりと関係性――解釈への抵抗について」も筆者の症例に基づくきわめて興味深い議論が展開する。本章で考察の対象になるのはエナクトメントであり、それが最近の関係論的な考えにおいては治療において何が生じているかを知る上で極めて重要な意味を果たす。筆者は症例とのかかわりにおいて、症例が正しい答えをし、治療者は正しい解釈を行うというエナクトメントを起こしていることに気が付く。そしてそれをかなり率直に患者に伝えることで治療的な進展が見られたことが報告されている。そしてそもそもエナクトメントが表しているのは、患者と治療者により解離されていた内容であり、その意味ではその内容が意味を持つためにはむしろ必然的に生じてくるという考えが示される。
 ここでおそらくとても大事なのだが私にわからないことが書いてある。ある心の内容があり、それが象徴的な理解を逃れている場合、それが具象レベルで外的に表現されることがあり、それがエナクトメントとなる。つまりエナクトメントは象徴化への防衛であり、それをバスは「表面の防衛」と呼ぶという。これはブロンバーグの解離の議論にも関連する。ブロンバーグは表象レベルでの変化、すなわち解釈が生じる際にはエナクトメントという現実が必要であり、その際に分析家自身の多重の自己状態の自己開示が意味を持つという。それは解釈ではうまく行かず、それは解釈は「ブーツのつまみ問題」をはらんでいるからだという。
 「第8章 分析家の意図と分析プロセス」では実際の精神分析状況が関係論的な視点から以下に再考されうるかについて論じた章である。そこで基本的に問われるのは、私たちが「理解という誤謬」(レベンソン)にいかに陥りやすいかということを問い、その見地から中立性やブランクスクリーンの概念について、主としてホフマンに依拠しつつ論じる。続いて提示されているケースでは、患者の方が治療者をブランクスクリーンと見立てたという点が特徴的である。すなわちそれは治療者が望ましい治療態度として意図して「処方」したのではなく、患者が治療者をブランクスクリーンとして見立てたというプロセスとして重要であり、それ自体が臨床素材として扱われる結果となった点である。関係精神分析においてはこのような伝統的な精神分析との逆転現象が生じる。
「第9章 多元的夢分析の方法に向けて」ではフロイト以来無意識への「王道」と考えられてきた夢分析についての再考が加えられる。ここではフロイト以来様々な学派から、夢の分析への異論が唱えられてきたことが紹介され、フロイト派において主流であった夢の内容についての分析から、プロセスとしての夢の意味を見出す立場が唱えられる。すなわち夢はその内容だけでなく、それが語られる文脈にも、特に転移―逆転移のエナクトメントとしても意味を持つのではないかと考えられるようになった。そしてそれは夢を解離された内容として捉えられるブロンバーグの理論へ結びつく。この章に盛られている内容は膨大で、読者がそれぞれ読み解いていただくしかないが、そこでは無意識内容が象徴化された形で夢となるというフロイトの定式化は遠い過去になり、夢は「生の知覚データ」(ビオン)、解離された近く(ブロンバーグ)が意味を付与される現象であるという考え方が紹介されている。夢とはまさに治療状況という文脈において創発されるものであるという構築主義的な視点が意味を持つのである。それに続く臨床例では夢の内容を解釈するというプロセス自体が夢の内容の再現となるという一種の循環について例示され、夢はその全貌が解明されるのではなく、より一層多元的なものとなるという視点が示されている。
 全体としての印象は、関係精神分析の概説書として、そしてブロンバーグの理論の適切な導入を行っていることである。それは著者がブロンバークによる著書を訳したことからもうかがえることだ。