2017年4月15日土曜日

脳科学と精神分析 推敲 ②

非線形的な心のモデルが示す治療方針

 上述した非線形的な心のモデルは様々な意味で治療的なアプローチの再考を促すことになる。非線形的な心のモデルは、心の連続性をあくまでも限定的なものとするため、いわゆるヒアアンドナウ的な考え方もより限定されたものとなる。例えば現時点での患者との治療関係の在り方は前セッションの内容から説明される部分もあれば、その間の患者の現実生活で生じたこの影響も受け、またそれ自体が不連続的な形で生じているという可能性もある。さらには治療場面において治療者が行う介入についても、少なくとも治療者の意図した影響と、実際に患者に及ぼされる影響には連続性がなく、時には全く反応がなかったり、思いがけない反応をおこしたりする。
 さらには伝統的な精神分析にとって根幹部分をなす転移の理解も異なってくる。過去の対象関係が現在の治療者へ投影され、その関係性が繰り返されるという想定もまた、患者の心に連続性を想定した、前出の漸成的な前提に依拠するところが大きい。
 このような捉え方は、フロイトが重層決定として表現したものに近いことになる。しかしフロイトの理論が依然として決定論的な色彩を持っていたとしたら、非線形的な心はそこに偶発性contingency が加わった考え方といえるだろう。つまり治療関係において生じることは沢山の要素によって決定されるだけでなく、そこで新たな偶発的で予想不可能な形での展開を見せる。
 このような心の非線形的なあり方は、現代コフート派によりさまざまに論じられているという。それを包括したうえで富樫(2016)は、治療者が偶発性や不確かさを共に生きることの意義を強調している。
 筆者は個人的にはこのような治療の在り方はHoffman により提案されている弁証法的構成主義の見方により包摂されているものとみている。治療関係において生じるものは常に過去の反復の要素(彼の言う儀式的 ritual なもの)と、新奇な要素(同じく、自発性spontaneityによるもの)との弁証法であるという見方を唱える。もし治療場面において生じることをこのように捉えるとした場合、治療者はそこで生じることを予見したり解釈したりする役割から離れ、患者と共にそれを目撃 witness し、体験する立場となる。そしてそこで否応なしに関わってくるのが治療者の主観性という要素である。
富樫公一「ポストコフートの自己心理学」(精神療法 42:320-7、2016)