2017年4月14日金曜日

脳科学と精神分析 推敲 ①

 近年の神経科学の発展には目覚ましいものがある。PET(陽電子放射断層撮影)やfMRI(磁気共鳴機能画像法)等の脳機能イメージングの技術の発展とともに、脳科学的な研究を通して得られるデータは膨大である。それとともに私たちは心の働きと照合されるような脳の活動をリアルタイムで追うことが出来るようになってきている。他方では囲碁や将棋ソフトの発展に見られるようなディープラーニングによる人工知能の飛躍的な発展も注目に値する。
 しかし私たちの日常臨床は、その脳科学的な進歩に見合うほどの発展を遂げているとはとても言い難い。臨床家は依然として素朴な因果論や象徴理論に依拠する傾向にある。診断も精緻化されているとは言えず、また投映法をはじめとする心理テストの実証性について疑問が向けられることも少なくない。その意味では脳科学時代の心理療法は、その両者の架け橋の相対的な欠如、あるいは前者の成果が後者にほとんど反映されていないことが特徴といえよう。後者の科学性はもっぱらその効果についての「実証性」が求められるようになっているという文脈に留まっている。
 そこで本稿では現代の脳科学が示す心の在り方という点から考えたい。ただし最近の脳科学的な知見を網羅することは不可能なため、本稿では心の非線形性という文脈に限定して論じよう。
脳科学の進歩が示唆する心の在り方

最近の脳科学は心についての新しいモデルを提供している。フロイトは精神分析の理論を提示した際に、そこに心についての明確なモデルを打ち出し、それはいわゆる局所論モデルから始り、構造論モデルとして結実した。ただし当時の脳科学の知見は極めて限定されていた。フロイトは中枢神経系がニューロンという微小な単位により構成されているということのみを手がかりにして、リビドーの概念を元に心のモデルを構成したが、それはその時代では精一杯だったといえる。現在の脳科学が示す心のモデルは、ニューラルネットワークモデルに依拠したものであり、そこで繰り返し示されるのが、精神活動の持つ非線形性である(Rose, Schulman,2016)。非線形性とは原因と結果の大きさに対応性がなく、心に働くどのような原因がどの様な種類や大きさの結果をもたらすかは基本的には予測不可能な性質を有する。そのような心の性質は脳の活動が安静時においてすでに見せる「通時的な不連続性」(ノルトフ、2016)という性質によっても裏付けられる。
 このような心の捉え方は、従来の伝統的な精神分析理論には全くなじまないものであった。分析家は分析治療において患者の連想内容から患者の無意識内容を見出し、それを解釈として提供する。それは患者の抵抗に逢いつつも徐々に洞察を導く。そこには心がある種の連続性を有し、無意識内容が徐々に意識化されていくプロセスを治療者が受身性を保ちつつ促進するという見方がなされる。それは心の深層が徐々に明らかにされるという意味で「漸成的な想定epigenetic assumption」(Rappaport, Gill, 1959, Galatzer-Levy、1995)とも呼ばれている。
 近年の精神分析理論においては、精神分析的な営みを無意識にすでに存在している欲動やファンタジーを発掘する作業として捉えるという考え方にかわり、それが臨床場面において生成されるという、いわゆる構成主義的な考えが提唱されつつある。それらは分析において解釈によりそれまでの「未構成の経験 unformulated experience」(Stern,1983,1989)や「未思考の知 Unthought known」(Bollas, 1999) が生まれるという考え方に反映されているが、これらは事実上心の非線形的な在り方への注目ともいえる。
 心の持つ非線形性の一つの表れとして、サブリミナルメッセージの例を挙げよう。私たちの心は意識されないほどの短時間の視覚入力により大きな影響を受ける。しかもその影響を受けた自分の決断を自らの意志として把握するという性質を示す。その際、直前性priority, 一貫性consistency, 他の可能性が不在であることexclusivityという三条件(Wegner, 2002)が整えば、私たちはそれを自分が意図的に行った(すなわちそこに意思と結果の間の因果関係が成り立ち、その意味で線形成を想定する傾向にある。言い換えれば私たちの心は実に様々な事柄により、内的、外敵に刺激を受け、その時々で予測されなかった行動をとるものの、それを因果論に従ったものと錯覚する傾向にあるのだ。ところが私たちの言動のあり方はむしろ不連続的な言動そのものにより既定され、それを説明するようなナラティブが生み出される可能性があるのだ。そのような心のあり方は、むしろゲーム理論により唱えられたものに近いかもしれない。すなわち「私たちの言語的振る舞いが先にあり、それが精神的経験や内的感覚をもたらすのである(Wittgenstein, 1965)」。
James Rose, Graham Shulman eds. (2016) The non-liner mind-.psychoanalysis of complexity in Psychic Life. Karnac.
Georg Northoff(2016)Neuro-philosophy and the Healthy Mind: Learning from the Unwell Brain W W Norton & Co Inc(ゲオルク・ノルトフ (著), 高橋 洋 (翻訳) 脳はいかに意識をつくるのか白楊社2016年)
Stern, DB Unformulated Experience: From Dissociation to Imagination in Psychoanalysis. New Jersey,: American Press. 一丸藤太郎、小松貴弘(訳)(2003)精神分析における未構成の経験―解離から想像力へ.誠信書房。
Bollas C (1999) the mystery of Things. London: Routledge 館直彦・横井公一(監訳)(2004)精神分析という経験 -事物のミステリー.岩崎学術出版社.
Robert M. Galatzer-Levy(1995)Complexifying Freud: Psychotherapists Seek Inspiration in Non-Linear Sciences.: John Horgan.Scientific American. 273, 1995. Pp. 328-330.
Rapaport & Gill (1959) write, 'All psychological phenomena originate in innate givens, which mature according to an epigenetic ground plan. This assumption underlies, for example, all the propositions concerning libido development …' (p.159). RAPAPORT, D. 1959 The Structure of Psychoanalytic Theory New York: Int. Univ. Press.
Wegner,DM (2002)the Illusion of Conscious Will.Cambridge,MA MIT press
Daniel M Wegner  who is the controller of controlled process? In R. R. Hassin,, J. S. Uleman, & J. A. Bargh (Eds.) (2005) The New Unconscious Oxford.
Wittgenstein, L/ (1965) The Blue and the Brown Book. New York: Harper Torch Books.