2017年3月10日金曜日

書評書いた

脳はいかに意識をつくるのか脳の異常から心の謎に迫る2016/11/5
ゲオルク・ノルトフ (), 高橋  (翻訳) 白揚社
絶好の機会が訪れた。私がまさに興味を持つような本の書評依頼を受けたのである。脳科学者でありかつ精神科医のゲオルグ・ノルトフによる心の探求の書である。
まず内容を簡単に紹介しよう。
序章
序章では古くからある哲学的な問題、すなわち心はいかに生起するのか、意識や自己や情緒といった心の活動の本体は何か、といった問題を最新の神経科学的な視点からとらえる「神経哲学neuro-philosophy」という分野が紹介される。本書はすなわち神経哲学の書なのだ。そして本書の特徴は、それを精神や神経の障害を持つ人たちの脳所見から探求しようと試みた点である。
1 意識の喪失――心の背後に存在する脳を探究するにはどうすればよいのか?
現代の神経科学者たちは意識、自己、情動、アイデンティティ、自由意志などの心に関する概念と格闘するようになった。彼らは脳の活動がこれらの体験にかかわる瞬間をとらえることを目指す。それが神経哲学という分野であるというわけだが、その世界で最近起きているのが、脳における「安静時活動resting-state activity」への注目であるという。それまでは精神の活動は外界からの刺激に反応することにより確かめられていた。それが外因的、かつ認知的な脳のアプローチだが、脳は外部からの刺激を受けずに、静かに休んでいるように見えても、実は活発な活動を行っていることが最近の fMRI などの研究によりわかってきたのだ。そしてそれが他の分野でも論じられるようになってきているいわゆる「デフォルトモードネットワーク」の活動(アルツハイマー病においてその活動が最初に低下する部位としても知られる)に対応するのである。

2 意識――神経活動と心の変換メカニズムとは何か?
この章ではいよいよ本書の中心テーマである、正中線領域(大脳皮質正中内部皮質構造、CMS )の話が出てくる。植物状態の患者でも、自己に特定的な刺激(たとえば自分の名前)に対して、非自己特定的刺激(たとえば他人の名前、など)とは異なる反応が見られ、それはこの CMS を中心として生じていることが分かったのである。そして意識をつかさどる脳の活動として、G.エーデルマンの「視床皮質再入連絡路」の概念と、その弟子G.トノーニによる「情報統合理論」が紹介される。要するに意識とは脳全体がグローバルに情報を伝達処理する活動に伴って現れるのだ。脳の一部でしか処理されていない情報は無意識にとどまるが、それが脳全体に広がる際に意識が生まれる。そしてその際ゲートキーパーの役割を果たすのが、前頭前野・頭頂野であるという。これらの部位は、局所的な動きを全体に移して意識化させるか、それが無意識にとどまるかを決める。ただしその意識が向ける対象はもちろんごく一部の内容、すなわちワーキングメモリーが扱える内容に限局されるわけである。その章ではさらに安静時脳活動の変動性と意識との結びつきについても記載されている。いわば脳内のハイウェイの交通量による変動の大きさが、意識活動の高さを意味するというわけであるが、この議論は第7章につながる。

3 自己 この家には誰もいないのか?
この章では自己という、哲学にとっては極めて重要なテーマに脳科学から迫る。脳科学では最近自己参照効果 self-reference effect が論じられている。自分に関する情報に対して反応する特定の領域がある。それは事故などで海馬が損傷すると消失するというのだ。そしてここでまた CMS (が登場する。そこが結局主観の宿る場所ではないかと最近は考えられているのだ。ジルバッハたちは、情動、安静状態、社会・認知のメタ認知を脳のどの部分が司るかを調べ、その共通部分が結局この CMS に重なったことから、CMS は本来的に「神経社会的である」と結論付けた。そしてさらに、安静時活動の場所とも一致することを見出したのだ。
4 抑うつと心脳問題――精神疾患は、実のところ心の障害ではなく安静状態の障害なのか?
 この章では、うつ病における脳科学的な変化について論じられる。著者はうつ病においては自己焦点化や身体焦点化が高まり、同時に環境焦点化の減退が見られるという。つまり自分の自己意識や身体についての意識が過剰に高まる一方で、外界からの情報の処理が低下しているのだ。それは正中線領域の一部の活動高進と、正中線外の領域、例えば背外側前頭前皮質(DLPFC)などの速報の領域の活動は低下していることが分かっているという。そして自己特定的な刺激は内部刺激も外部刺激も昂進しているというのだ。
5 世界を感じる――私たちは「世界脳」関係をいかに経験しているのか?
本章では情動体験についての本格的な議論が繰り広げられる。著者はあらゆる感情が身振りなどの情動表現を伴うこと、それを抑制すると情動的感情も抑制されるという事実を示す。そして「情動的感情は明らかに身体化されている」と述べるのだ。著者は、情動が認知処理に関連しているというジェームズ・ランゲ説を支持する実験として、交感神経を刺激した後に異なる文脈に入れられた被験者が、その文脈に従った感情を覚えるという実験を紹介する。例えば怒った表情の俳優のいる部屋に入ると怒りを増幅させ、幸福そうな俳優がいる部屋ではより大きな幸福を体験するというのだ。また情動体験における右島皮質の役割について述べている。右島皮質と前帯状皮質の一部は、脊髄から中脳、視床下部を経て自律的な内臓の反応を統合するループを形成するという。そして島皮質の働きは、内的に導かれた注意により高まり、外的に導かれた注意により低下するという。つまり島皮質は、身体と環境のバランスを常に保っている部位ともいえるのだ。例えばうつ病ではこの右島皮質の活動が損なわれているために内受容入力が低下し、患者は自分の脈拍を自覚できない。その意味で人格とは環境との関係の反映であるという言い方もしている。環境に由来する外需要刺激と身体による内受容刺激の直接的な関係を形成するのが、島皮質などの脳領域なのだ。
6 統合失調症における「世界脳」関係の崩壊――「世界脳」関係が崩壊すると何が起こるのか?
この章では統合失調症の発症に、ニューロン(神経細胞)の興奮の抑制の異常がかかわっている可能性について論じる。大脳皮質で興奮に貢献する錐体ニューロンは、介在ニューロンとGABAという神経伝達物質により抑制されるが、両者に異常が見られる結果として活動が昂進し、とくに背外側前頭前野でその異常が著しいという。視覚皮質や聴覚皮質は通常は入力がこれらの部位により抑制され、フィルタリングされるが、それが行われず、言わば情報の洪水に飲み込まれてしまう。とくに聴覚皮質は安静時の興奮の増大とともに、外部からの刺激に対する反応性が低下する。つまり内側からの声が圧倒し、外側からの情報を圧倒してしまっているのだ。それが幻聴体験の神経科学的な理解となる。
7 アイデンティティと時間――「世界脳」関係はいかに構築されるのか?
この章は最終章であり、かつ難解である。この章での極めて重要な指摘は、アイデンティティの感覚には CMS が重要な役割を演じ、かつその領域の活動が「通時的な不連続性」により特徴づけられるという一種のパラドックスがあるということである。この領域の活動が連続的となった場合には、むしろアイデンティティや意識の不連続を生む。そのことは最終的に定常状態に達したフラットな脳波や、てんかん発作時の高振幅の棘波-徐波は意識の消失を意味するということから分かる。そしてさらに議論は自己連続性に時間のファクターが決定的であるという点への言及がある。そのことはいわゆる時間割引(TD、報酬が先延ばしになるにつれ、どれほどそれへの関心が失われるか)と自己連続性が反比例するという実験から示唆されるという。そしてまたしても CMS が時間の感覚の生成に中心的な役割を発揮するというのだ。
以上本書を読み、章ごとにそのエッセンスをまとめてみたが、私自身内容を十分把握できたとはとても思えない。しかし私が勝手にその意味を読み取るならば、CMS での脳の活動がおそらく私たちが心と呼び、クオリアと呼ぶものの生成に中心的な役割を担っていること、そしてそこでの働きは非線形的であり、非連続的、予測不可能なものとして特徴づけられるということである。それがまさに複雑系としての脳の産物としての心、カオスとしての心の在り方という視点と相通じるものを見たような気がした。
脳科学的な基礎知識を前提とし、また決して読みやすい本ではないが、脳と心を探求するものにとって得るものは大きい。