2017年3月11日土曜日

また書評書いた

書評

日常診療における精神療法 10分間で何が出来るか 中村敬() 星和書店、2015


本書は非常に興味深い企画に基づいている。精神科において「10分間で何が出来るか」という問いには、精神科医は高々10分程度しか外来で時間が取れない、というやや自嘲的なニュアンスと、しかしそれを言い訳にせず、むしろその中で何が出来るかを積極的に考えようという前向きな、あるいは野心的な意図がうかがえる。そして本書を手に取る精神科医の中には、「実は自分の場合はせいぜい5分しか取れていないな」と考えている方も少なくないのであろう。一昔前に「三分診療」という言葉があった。現在は五分以上の診療にしか「通院精神療法」が加算されないため、精神科ではこの言葉は死語になりつつある。そこで場合によっては本書に続いて「5分間で何が出来るか」も真面目に企画する必要があるかもしれない。それほどに我が国の精神科外来の通院人数は増加の一途をたどっている。本書のような企画はそれに対応した、大変意義深いものである。
本書の概要をここに示そう。編者中村敬先生は言うまでもなく森田療法の第一人者であり、精神科医の中では深い精神療法マインドをお持ちの方である。第1章の座談会ではその中村先生が中心となり、「日常診療における精神療法:10分間で何ができるか」と題して西岡和郎,松本晃明,渡邊衡一郎といった気鋭の諸先生方と日常臨床における短時間の精神療法的なかかわりについて、それぞれの治療的な創意工夫を語り合う。それ以降はそれぞれの精神疾患群のスペシャリストが、みずからの10分間の用い方を開陳する。第2章は渡邉博幸先生による統合失調症スペクトラム障害(統合失調症)の日常診療、第3章は肥田裕久先生による統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害群、第4章は鈴木映二先生による双極性障害と関連疾患、第5章は菊地俊暁先生による抑うつ障害群、第6章は中村敬先生による不安症群、第7章は中尾智博先生による強迫症および関連症群、第8章は仁木啓介先生による心的外傷およびストレス因関連障害群、第9章は野間俊一先生による解離症群、第10章は塩路理恵子先生による身体症状症および関連症状群、第11章は林公輔先生による摂食障害、第12章は山寺亘先生による睡眠─覚醒障害群、第13章は椎名明大先生による物質関連障害及び嗜癖性障害群、第14章は林直樹先生によるパーソナリティ障害、第15章は今村明先生によるおとなの発達障害、第16章は岡田俊先生によるこどもの発達障害について論じられる。
全体を読んだ感想としては、まずは私が駆け出しの頃に学んだ笠原嘉先生の「小精神療法」の精神が今でも根強い影響力を持ち、精神科医にとっての支えとなっているということがある。それは第1章の座談会でも具体的に語られていることである。
 また本書の構成は、あくまでも1はじめに、2初診、3再診、4終結、という章立てなため、肝心の10分診療はその中の3(再診)で限定的に論じられることになる。そしてそのスペースが小さいために、そこに様々な療法を列挙するだけで終わってしまう傾向にある。そのために本書が各疾患ごとの治療論とあまり区別がつかなくなってしまう傾向も感じた。10分間のために訪れる患者のだれもが持つ「話を聞いてほしい、わかって欲しい」という共通部分は捨象されてしまう傾向にあるという印象も受けた。むしろ典型的な10分診療のシナリオを、具体的な言葉の交わし合いも含めて提示してもらう、という方が企画にあっていたのかもしれない。
本書は執筆者が多いことで若干散漫な印象を受けるかもしれないが、それぞれの臨床家が自分自身の臨床上の知恵を開陳しているところは大きな強みである。読者はそのうち心に響いたどれかをお土産にすることが出来るであろう。「再診では一言でも患者さんの強みに触れるべきである」という今村先生の記述などは重要である。ただし本書中にあった、「鬱の患者さんには『必ず良くなる』と伝える」というのには少し首をひねった。治癒ではなくても症状の改善も含めて「良くなる」可能性はあるので嘘ではない、という説明だが、患者さんがこれを治癒することを保証されたと感じる(勘違いする)可能性は高いであろう。予後が良好であることがよほど明白でない限り、私にはこの言葉を言うのには抵抗がある。私はその代りに「今より楽になる可能性はもちろんある」という言い方を用いている。
総じて臨床的に非常にためになる良書である。あらゆる立場にある精神科医が本書を手に取ることを願う。