エナクトエント、深層学習
人の心を複雑系としてとらえるという方針は、今後も不可避的なばかりでなく、むしろ必然的であると考える。非線形的な在り方としてとらえることで現在の精神分析理論にある種の決定的な変化をもたらすとしたら、それは治療者と患者の相互関係を一種の深層学習ととらえること、もう一つは相互の振る舞いはともにエナクトメントであるという視点に至る。複雑系としての心とエナクトメントとはきわめて相性がよく、現代の精神分析的な考え方から差しのべられた手だとさえいえるだろう。
エナクトメントは要するに治療状況において、治療者や患者のある態度や振る舞い(沈黙、あるいは感情の動きも含めて)が、本人の気が付いていない感情やファンタジーや意図を表現したものとしてとらえられるということである。この概念は言うまでもなく転移、逆転移の概念の進化系ともいえる。転移、逆転移は過去の対象関係の移しかえというニュアンスを持っていたが、エナクトメントの本質は、それが「何の移しかえか」が本質的には不可知的であるという可能性を含んでいるということである。それは過去の対象関係であってもいいし、それ以外でもいいし、何かわからなくてもいいのである。無論精神分析的にはそれが事後的になんの移しかえだったかがわかることが望ましいが、おそらく関係論者の多くはそこまで明確な理解を要求できないことを暗黙の裡に認めているであろうし、それは私たちの言動のいわば離散的、非連続的な性質を認めていることになる。これはいわば非線形的な心の在り方の容認ともいえる。わかってもらえるだろうか。
深層学習は実は私たちが、患者であろうと治療者であろうと常に環境との間で行っているのであり、「治療関係は相互の深層学習である」という提言はある意味では当然の事実を述べているに過ぎないが、おそらくそれの意味するものは大きい。従来の精神分析的な捉え方とは明らかに齟齬をきたす。学習するのはもっぱら患者の方である、とか、治療者はすでにある意味では答えを見出しているとかが、分析的な前提である。ところが実際には治療者と患者はお互いに本来は見知らぬ存在であり、お互いによって刻々と変化し、学習しているという事実は変わらない。診断とか見立てにより治療者がいち早く患者を理解するという考えは誤っているのである。