2017年2月26日日曜日

脳科学と心理療法 ③

ともかくもここでまず言いたいことは、現在の脳科学的な知見の発展と、臨床場面で見られる還元主義的な考え方には驚くべき開きがあるということです。
ここで臨床家が向かうべき心としての「新・無意識」という概念について紹介します。無意識と言えば一世紀あまり前にフロイトが精神分析理論を提唱した際に中心的な概念でした。しかし最近の脳科学の発展は新しい形での無意識の在り方を提唱していると言えます。それは端的に言えば非線形的で複雑系として理解される脳の在り方を反映しています。ただしその説明をする際に、まずは私自身の精神分析の理解を説明しつつ、この概念を導入したいと思います。
カオス的な動きをする二重振り子の例
 個人的な体験から言えば、精神科医になって精神分析理論に触れることで、初めて心をいかにとらえるかについての明確な理論を得られたという実感がありました。これは本来私たちがいかに心をとらえ、説明するための方法論を欲しているかを意味していると思います。私は精神医学を知る前には、それなりのインテリジェンスを備えてはいても、心についてそれを科学的な立場から論じることについては無知だったわけですから、その時の私の心のとらえ方は、おそらく精神医学や臨床心理学に対して専門的な知識を有しない人々が持つある種のプロトタイプを表しているのではないかと思います。つまりもし私が例えば文学とか政治学とか、物理学を専攻していて現在に至り、人の心を扱う仕事に就くというめぐりあわせになったら、60歳の私は、やはり精神分析にまずは希望を見出すであろうということです。 
精神分析に関して私の心をつかんだのは、たとえば抵抗の概念だろうと思います。クライエントが二回続けて遅刻する。何らかの偶然のように思えるが、そこに治療に対する抵抗が存在するかもしれない。おそらく。そしてそれはたとえば前回のセッションの最後に治療者が発した言葉につながっている可能性がある。それを治療において扱う。そこからクライエントの無意識部分が少しずつ露わになっていく・・・・。
しかし私が実際に出会ったクライエントは、それこそ一人一人が異なっていて、患者さんの遅刻は治療への抵抗かもしれないし、全くの偶然かもしれない。電車が事故で遅れたのかもしれないし、家でパートナーと言い争いをしていて来るのが遅れたのかもしれない。全くケースバイケースで予想が出来ないわけです。それについてコメントすることで生じる関係性の変化についても全く予測不可能なところがある。「遅刻を抵抗としてとらえる」という方針だけでは全くカバーしきれない数えきれないほどの可能性と不可知性、偶然性をはらんでいるのが現実です。
私が臨床を通じてむしろ面白いと感じたのは、この無限に思えるバリエーションであり、それでもその中に漠然と見えるパターンや規則性です。おそらく人を扱ううえで、ある種の読みを行うことが出来ないとしたら、対人関係は人の心を混乱させるだけでしょう。ところが人の心にはある種のパターンがあり、それはその人それぞれに固有のものであり、また人間一般にある程度当てはまるようなことだったりする。私たちはおおよその予想や推量を行って対人関係を営んでいますが、時に驚かされたり、意外に思ったりすることもあり、ある意味では偶然性と必然性の混淆状態で生きているわけで、そこがまた面白いところなのだ。それともう一つ、人の心を十分理解できなくても、こちらから作っていくところがある。おそらくその部分があることで人は混とんとして予測不能の人間関係の中を泳ぎ切っていくのだろうと思います。
そこで複雑系という概念について一言。
複雑系の定義は様々ですが、一言でいえば、決して定常状態に行き着かない系、ということでしょう。その系の中では正確な意味での反復は生じえない。なぜならある一部における反復は、ある一定時間ののちにその系の状態がその構成要素の運動ベクトルも含めて元の状態に戻る、ということでその後の反復が予想されます。するとその系は反復を永遠に繰り返すという意味での定常状態に達することになるでしょう。しかし実際にはそのようなことは私たちが知っているあらゆる系において生じません。それは決定論的な法則に従って動く系についてもそうです。例えば二重振り子を例に考えるといいでしょう。一定以上の高さから振り下ろす二重振り子は、決して定常状態に至らないのです。