2017年2月10日金曜日

錬金術 ⑪

今日はここら辺を推敲した。

そこでこう問うてみよう。コンバットハイに陥る人は反社会性を備えたサイコパスなのであろうか?サイコパスであれば、他人に危害を加えることを快感と感じるはずである。そしてサイコパスならそれこそ幼少時から、動物を虐待したり他人に暴力をふるったりという行為がみられることが知られている。他方戦場で敵を撃つことの快感に「目覚めて」しまった人の場合はどうだろうか?その場合はコンバットハイはしばしば強烈な罪悪感や自己嫌悪を引き起こすに違いない。しかしそれでも自分をコントロールできないほどにそれを生きがいに感じるようになったとしたら・・・・。
昔から小説に出てくるような用心棒や殺し屋のイメージが重なる。私がこの問題を考えるときいつも頭に思い浮かぶ浅田次郎の作品「一刀斎夢録」を紹介しておきたい。そこに描かれる新選組三番隊長・斎藤一は優れた人間性を備え、明治時代に入ってからは警察官を勤めた人間である。浅田は斉藤を妻にも繊細な心を配る人間として描くと同時に、剣により人をあやめることにまがうことのない快感を得ていた人物として描く。彼はまさに剣の与える快に囚われた人生を送ったと言えるだろう。