DSM‐5に準拠しようと思ったら、書かれていることは全然満足がいかない。そこで項目だけ残して自分で書き直すことにした。
著明な持続的で不安定な自己像または自己意識により特徴づけられる同一性の障害が存在しているかもしれない。目標,価値観,および志望する職業の変化によつて特徴づけられる自己像の突然で劇的な転換が存在する。職業,性に関する同一感,価値観,友人の種類などについての意見や計画が突然に変化するかもしれない。こうした人達は,助けを求める愛情の困窮者の役割から過去の虐待に対する正義の復讐者の役割へと急変することがある。こうした人達の自己像は,通常,悪いまたは邪悪であることに根ざしたものだが,この障害をもつ人は時に,自分がまったく存在しないと感じているのかもしれない.こうした体験は通常,意味のある対人関係,世話,支持などを受けられなくなったと感じる状況で起こる.この人達は,組織立っていない仕事や学校という状況では作業能力が悪化することがある.
<基準2> 理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式
BPDを有する人は相手に対する惚れ込みや理想化を示す一方で、同じ人にそれとは逆に脱価値化の対象にしたり、憎悪を向ける傾向にある。一般的には自分を決して見捨てないと思えた対象に理想化を向け、その際過剰な奉仕や世話焼きを伴うために、相手は逆に狼狽し、それを負担に感じることが多い。その結果として相手が自分から距離を置き始めると感じるや否や、その対象の脱価値化に向かうということを繰り返す傾向にある。この脱価値化は理想化をしていた際に否認していた相手のネガティブな側面を言い募ることで相手の怒りを買い、そのことで自分への陰性の注意 negative
attention を引き出すことを目的とするために、余計に相手からの嫌悪感を増すことになり、その意味では不成功に終わることが運命づけられた自暴自棄な行為といえる。その意味では相手への脱価値化は一種の自傷行為というニュアンスもある。ただしこの脱価値化は、これ以上傷つきたくないためにその関係から逃避するという目的も含む可能性があり、決して単純ではない。脱価値化は通常は激しい感情状態で生じ、高い衝動性を伴うために、相手への攻撃や自傷行為という行動化を伴うことが多い。以下はDSMの削除部分。こうした人達は1~ 2国会っただけで,その人のことを自分の面倒をみてくれるまたは恋人になる可能性があると理想化し,長い時間を一緒に過ごすように要求し,そのかかわりの早期から非常に個人的なことを詳しく分かち合おうとするかもしれない.しかし彼らは,理想化からこき下ろしへとすばやく変わり,その人が自分の面倒を十分にみてくれない,十分なものを与えてくれない,または十分に“そこに"いてくれないと感じるかもしれない.この人達は,他人に共感したり世話をしたりすることはできるが,それは相手が“そこにいて"お返しに自分の求める欲求を満たしてくれることを期待してのことなのである。こうした人達は他人に対する見方を突然に, しかも極端に変化させる傾向があり,この人達にとって他人は有益な援助をしてくれるかあるいは残酷な罰を与えるかのどちらかであると映つている。こうした切り換えはしばしば,世話をしてくれる人を理想化していたり,拒絶されるあるいは見捨てられる予測をしていることからの幻減を反映したものである。
<基準3> 同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識、
<基準6> 顕著な気分反応性による感情不安定性
<基準7> 慢性的な空虚感
<基準6> 顕著な気分反応性による感情不安定性
<基準7> 慢性的な空虚感
BPDにおける同一性の問題は、彼らが体験する慢性的な空虚感と切り離して考えることが出来ない。彼らは通常は自らが空虚で、自分はだれか、何を欲しているのか、という感覚にとらわれる。これはしばしば抑うつ的な気分とも関係する。何をやっていても楽しくない、自分をそこで発揮したり、没頭したりすることが出来ない。その空虚感はしばしばギャンブルや薬物依存の形をとるが、同様に激しい異性との交遊関係に向かうこともある。彼らは一時的にある趣味や思想、嗜好に傾倒し没入することがあるが、それが持続せずに浮動し、一定しない傾向にあり、それが再び空虚感を増幅させることになる。その意味ではBPDを気分障害の一種としてとらえる見方も少なくない。患者の語る日常体験にはしばしば軽躁的で活動的な気分と抑うつ気分の間の変動が見られる。前者の際には対人関係を広げ、様々な計画を立てるが、後者の気分に陥るとそれが空しくなったり、自殺願望が頭をもたげてくる。午前中は興味を持てていたことが午後には煩わしいだけになってしまうという体験を持ち、それが対人関係や社会生活上の障害となる場合も少なくない。