2017年1月10日火曜日

自己愛と怒り 推敲 ①

はじめに
この教育研修セミナーは「自己愛と怒り」いうテーマなので、私はそのままの題名でお話します。私はもともと恥と自己愛のテーマに興味を持ち、それに関連する著書を発表してきました(岡野、19982014)。自己愛の傷つきによるトラウマと、それに反応する形での怒りという問題は、私の中でかなり大きな位置を占めるようになってきています。最初にこのテーマについて考える直接のきっかけとなったことについてお話します。
岡野憲一郎 (1998) 「恥と自己愛の精神分析」(岩崎学術出版社
岡野憲一郎 (2014) 「恥と自己愛トラウマ」 岩崎学術出版社
  かなり以前のことですが、浅草通り魔殺人事件」というのがありました。2001430日、東京の浅草で、レッサーパンダの被り物をした29歳の男性が19歳の短大生を白昼に路上で刺殺したという事件です(佐藤、2008)。男は女性に馬乗りになって刃物で胸や腹を刺していたということです。 「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」と供述しています。これでは何のことだかさっぱりわからないでしょう。この一見意味不明の言動や、動物の形をした珍しい帽子を被っていたという奇妙さも手伝い、非常に世間の耳目を集めたのです。
佐藤 幹夫 (2008)自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 朝日文庫
しかし北海道出身のこの男性は、「いるかいないかわからないような」「おとなしい男」と知人らから評されています。「とても殺人などするような男ではない」とも言われていますが、そんな男がなぜ、このような残酷な事件を起こしたのでしょうか?
ただ私がこの事件の一端がわかったという感覚を持ったのは、起訴状にあったという、「ビックリした顔をしたので馬鹿にされたと思い、カッとなって刺した」という彼の言葉です。もちろんどうして女性のびっくりした顔が「馬鹿にする」と受け取られたかは謎です。おそらく発達障害に特有の対人関係における認知の問題があったのでしょう。しかしそこには一筋の因果関係だけは見えていて、それが「馬鹿にされたから、カッとなった」ということなのです。つまり自己愛の傷つきによる怒りの反応であったということです。おそらくこの回路が成立していない心などありえないのでしょう。

自己愛と怒りの二つの原則
ここで一般心理学に目を移してみましょう。最近怒りをどのように理解し、コントロールするかということが話題になっています。いわゆるアンガーマネージメント(怒りの統御))と呼ばれるものであり、うつ病でも薬物依存でも、およそあらゆる治療手段の一環として登場します。つまり自分の怒りが生じるプロセスを理解し、それを自らコントロールできるようになりましょう、というのが趣旨ですが、が、その一つの決め手は、怒りを二次的な感情としてとらえるという方針です。私がここに描いてみるのは、怒りの氷山の絵です。このような図はネットなどで非常に多く見ることが出来ますが、大体似たような図柄です。[省略]
つまりこの図が表わしているのは、怒りというのはその人の傷つきや恥や、拒絶されたつらさがその背後にあり、それに対する反応だということです。別にこのような考え方は自己愛理論に立っているというわけではなく、一般心理学的な考え方としてそうだということを表しています。
ここで自己愛の怒りの第一の原則を示しておきましょう。
自己愛と怒りの第1原則:「怒りは自己愛の傷付きから二次的に生じる」

次に自己愛と怒りのもう一つの原則を示しておきたいと思います。そのための図を示します[省略]。これは私が「自己愛の風船モデル」と呼んでいるものです。つまり私たちの自己愛は放っておくと膨らんでいく風船のようなものだということです。そしてこの風船が針で突かれると爆発して怒りとなって表現されるというところがあります。ここで第2の原則です。
自己愛と怒りの第2原則:「自己愛は放っておくと肥大する風船のようなものである。」
それが突かれたときに怒りになったり、恥の体験になったりする。オヤ?恥のことが付け加わりましたね。そう、怒りに表されない自己愛の傷つきは恥として体験されるのです。

恥の第2原則の付則:自己愛の傷つきは、怒りとして表現されない場合には恥の体験となるという性質を持つ。