2017年1月21日土曜日

自己愛と怒り ③

 さて書簡集の中でフロイトはこんな恐ろしいことを書いているのも私は発見しました。
「敬愛するウィルヘルムよ。僕は再び君からの手紙(ベルリン以来三度目のもの)を手にして大変うれしいので、すべての復讐の考えを追い払いました。(18971021日)
 ここに書かれていることが、端的に自己愛と怒りの問題を指し示しているのです。私も時々、メールになかなか返事がもらえない時、プライドを傷つけられることがありますので、この気持ちはわかりますが、そこで重要なのは、相手から注意を払ってもらいたいという気持ちが裏切られた時の怒り、そしてそれが満たされた時の怒り⇒感謝のこの変換の様子です。これこそ両者が表裏一体であることの証ではないでしょうか。そしてこの興味深い現象をフロイトは体験している!なのに彼の理論にはならなかったのです。なぜでしょうか? この答えはしばらく後までとっておきましょう。もちろんどこの本にも書かれていません。
さてフロイトとフリースの関係ですが、自己愛的な関係が辿る典型的な顛末を彼らも追うことになります。それがアーヘン湖での出来事、事件です。
アーヘン湖事件)
1900年の夏、アヒェンゼー(アーヘン湖)で会合の機会を持ったフロイトとフリースは、激しい言葉の応酬、批判の支配を行います。英語でいえばmud slinging 泥の投げ合い、ということです。フロイトがフリースの『周期説(バイオリズム仮説)』を非科学的な推論だと批判し、フリースがフロイトの『精神分析』を適当な読心術に過ぎないと批判したことで、激しい口喧嘩に発展して訣別することになったとされます。絶交した後は、フロイトはフリースからの膨大な手紙を焼却処分してしまったのです。フリースはフロイトからの手紙を大切に保存しており、後に「精神分析の起源(1950年)」として刊行されたわけですから、激しさから言ったらフロイトの方が一枚上だったと言えるでしょう。
ちなみになぜここまで詳しい話ができるかと言えば、フリースがベリンジャーという人のインタビューに答えていろいろ話した記録があるからです。
この日に決定的な仲になり、フリースによればフロイトはわけもなく怒り出したそうです。分析のプロセスには周期が絡んでいるから、よくなっても悪くなっても分析だけじゃないよね、などと言ったらしい。それに対してフロイトが怒りだした。「それじゃ私のやってきたことを全否定したことになるんじゃない?」 フリースはこれを周期説に対するフロイトの羨望と読んだのですが、それはあながち間違っていないようです。フロイトは、「周期説を発見したのがあなたじゃなかったら、怒り狂っていただろう、この説を私以外の人が発見したなんて!」ということをしばらく前に言っていたそうですから。
同時に起きていたのは、両性具有についても、フロイトは、自分が発見したと言い張って、のちにフリースが2年ほど前に行っていたことを思い出したそうです。そのことをフロイトが「日常生活の精神病理」の中で自分で述べていますが、フロイトにもこのような内省があったのが安心しますね。
   さて、フロイトはユングとの関係でも同じことを繰り返しました。そして最後は「クロイツリンゲン事件」です。つまりフリースとのアーヘン湖事件と同じようなことが起きました。19125月、スイスのクロイツリンゲンに病床のビンスワンガーを見舞ったフロイトは、近くのチューリッヒに住むユングのもとに立ち寄らなかったそうです。
ユングはフロイトに以下のように書き送ったそうです。
「あなたがクロイツリンゲンにいらした時に私に会う必要を感じなかったという事実は、私が展開したリビドー論を快く思っていなかったことを意味しているに違いないと私は思います。私は将来この議論の多い論点についての理解に至ることを望みます。でも私は私の方針で行くしかありません。スイス人がいかに頑固かはご存知でしょう。」
実はこれにも複雑な事情があり、フロイトは実際ユングに会うように手紙を送っていたが、それが遅れたこと、そしてビンスワンガーに急きょ合わなくてはいけない事情を、フロイトはユングに伝えなかったという事情があったそうです。そうなると二人の関係ではユングの方の自己愛問題も相当だったということです。