2017年1月19日木曜日

自己愛と怒り ①

自己愛と怒り

この教育研修セミナーは「自己愛と怒り」いうテーマなので、私はそのままの題名でお話します。私はもともと恥と自己愛のテーマに興味を持ち、1998年には最初のモノグラフを表しました。それは「恥と自己愛の精神分析」(岩崎学術出版社、1998)というものでした。また2014年には、恥と自己愛トラウマ(岩崎学術出版社、2014年)という本を出しました。この表題から分かるとおり、自己愛の傷つきによるトラウマと、それに反応する形での怒りの問題は、私の中でかなり大きな問題として膨らんできていました。最初にこのテーマについて考えるきっかけとなったことについてお話します。
かなり以前のことですが、浅草通り魔殺人事件というのがありました。2001430日、東京の浅草で、レッサーパンダの被り物をした29歳の男性が19歳の短大生を白昼に路上で刺殺した。男は女性に馬乗りになって刃物で胸や腹を刺していた。 「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」と供述している。動物の形をした珍しい帽子を被っていたこの男は各地で目撃されており、目撃情報は多数報告され、似顔絵が公開されました。警察が行方を追っていたところ、東京渋谷区の工事現場にいるところを発見、逮捕されたものです。
札幌市出身で29歳の無職のこの男は、「いるかいないかわからないような」「おとなしい男」と知人らから評されています。「とても殺人などするような男ではない」とも言われていますが、そんな男がなぜ、このような残酷な事件を起こしたのでしょうか?

「いたずら目的」と発表しているところもあるようですが、動機の解明はまだこれからです。私たちの棲む世の中には、説明のつかない、わけのわからない事件はよく起きるものです。しかしその中で時々作図線を与えてくれるようなこともあります。このケースの場合、馬鹿にされたと思った、というのが決め手になりました。
ここで一般心理学に目を移してみましょう。最近怒りをどのように理解するかということが話題になっていますが、その一つの決め手は、怒りを二次的な感情としてとらえるという方針です。私がここに描いてみるのは、怒りの氷山の絵です。このような図はネットなどで非常に多く見ることが出来ますが、大体似たような図柄です。


  つまりこの図が表わしているのは、怒りというのはその人の傷つきや恥や、拒絶されたつらさがその背後にあり、それに対する反応だということです。別にこのような考え方は自己愛理論に立っているというわけではなく、一般心理学的な考え方としてそうだというわけです。