2016年12月6日火曜日

催眠 ②

催眠の歴史について
 
 まず催眠の歴史から少しお話ししましょう。フロイトが催眠から入ったということは多くの人が知っていますが、それより一世紀前の人であるメスメルという人物がドイツやフランスでそれを広めたことに始まるということは余り知られていません。ちなみに催眠にはかかりやすい状況や雰囲気、催眠術者の側の要因、催眠をかけられる人(被催眠者とでもよんでおきましょう。)の要因といくつかありますが、メスメルさんは大きなアドバンテージを有していました。なぜなら彼は自分の催眠が有効であることに確信を持っていて、それは動物磁気という理論だったのです。彼は動けなくなった患者、痛みを持った患者の幹部に手をかざし、「ここに動物磁気が貯まってしまっている、鬱滞している」といい、それを整流してあげるといいました。つまり彼の頭の中では、動物磁気の流れが実体として見えていたので、それだけ自信を持っていたのです。人は誰かが自信を持って何かを語ると、それに強い影響を受けます。私はマフラーが嫌いですが、出掛けにカミさんに、「こんな日は絶対に必要よ!」といわれるとその気になり、まるでマフラーをしないことがとんでもなく非常識なように思えて押し切られてしまいます。それだけ断言する人のそばにいると、人は大きな影響を受けるものです。それは例えば癌の治療の際に、化学療法にするか、外科手術に踏み切るか、というような重大な選択肢に際しても言えます。そばで自分に影響力を及ぼす人に「絶対にこうしなさいよ!」といわれるとその気になってしまいます。人は自分で考える代わりに他人の頭を使って判断をしてもらうという癖を時々発揮したりします。まあそれはともかく。
 メスメルさんはそのうちお客さんが絶えなくなってしまい、風呂桶のようなものに水を満たして、それを「磁化」させ(といっても彼が手をかざしただけだと私は想像しますが)、そこからたらした紐を患者さんが握るという形で、一度に多くの人を治療するようになりました。まあ一種のグループセラピーということでしょうか。そのうち人がさらに多くなったので、その風呂桶を公衆浴場のようにして、終いには大きな木を磁化して、そこから紐をたらしてさらに沢山の人を治療しました。そんなことをやっていたので最後はやぶ医者として追放されたのですが、彼の伝統を受けついたお弟子さん達が脈々と生きていて、ウィーンにもベネディクト先生という人がいて、ブロイアー先生という、アンナOという女性の治療に手を焼いている先生に催眠を教え、そのブロイアー先生が後にフロイトに絶大な影響を与えたわけです。
さてメスメリズムは次第に形を考えることになります。一方には「動物磁気って嘘やろ!治らない人だってたくさんいるだろう、インチキや!」ということになった。なぜか大阪弁になっていますが、その理屈はこうです。「動物磁気が自然に体の中を通るようになり、するとだんだん痛みが取れてきますよ。」というメッセージのうち、実は前の方は重要ではなく、後者が大事なのだ。動物磁気が、という部分は別のものに置き換えてもいいということになります。「手をかざしている私から何かが伝わって」というのでもいい。あるいは極端に「私は病気を直す魔法を使うことが出来ます」でもいいかもしれない。すると患者さんの一部はよくなってしまう。では人から言われただけで心が本当に影響を受けてしまうというのは一体何なのか、ということになって、それが先ほどの暗示、ということになります。それは使えばいいのではないか、ということになりました。
このようにして催眠は医学の中にかろうじて組み込まれた形になりますが、結局はキワモノ的な扱いを受け続けることになります。その理由のひとつはやはり、患者に対してそれをだます、利用するという意図を持った人たちに悪用されてしまうという危険とつながっているからでしょうか。

いわゆる霊感療法というのがありますが、それはこの催眠とごく一部ではありますがつながっているというところがやはりあると思います。「手をかざせば痛みが和らぎますよ、では一回3000円いただきます」という人と、「このつぼを買ってお祈りをすればすべての悩みから救われますよ、ハイ、100万円。」というのはどこかにつながっているわけです。