2016年12月1日木曜日

解離 推敲 ⑤ 


現実のケースではおそらくいくつかの人格部分が形成されても、それはやがて休眠するということがしばしば生じるものと考えられる。DIDの多くはそうして生涯明確にそれと同定されることなく、そのうち解離症状が起きにくくなていく可能性がある。しかしトラウマに直接かかわったような人格と遭遇したり、人生の上での様々なストレスを体験した際、あるいは激しい情動体験を持った場合などに人格部分が賦活され、現れる可能性もあろう。したがってDIDの治療はその時々の症状の再燃に対する介入という形をとる場合が多い。
離人-現実感喪失障害 

離人症状や離人体験は、従来から精神病理学的な考察の対象になってきた。離人体験とは自分の心や体に対する生き生きとした現実感が失われた状態である。他方では周囲の世界に対する現実感が喪失した状態、つまり身体や感覚が遊離した状態すなわち現実感喪失障害 derealization disorder は従来より離人症とは別個の病理として論じられてきたが、DSM-5でもICD-11の試案でも、両者が一括して「離人・現実感喪失障害」として分類されることになる。従来離人症は自我障害の一つとして、すなわち精神病性の障害として概念化される傾向にあったが、近年それが解離性の障害として理解され、またその病理がしばしば外界に対する非現実感を必然的に伴っていることから、両者を別々に論じる理由がそもそもなくなったものと考えられるようになったのである。この離人-現実感喪失症状はそのほかの解離性障害においてしばしば観察されるものの、それが精神病や感情障害なのにおいて、単独で様々な精神疾患において出現することが知られる。そのほかの解離性障害と異なる点は、それが意識のありようの不連続性を必ずしも伴わないことであろう。以下に論じる解離性障害は何らかの形で記憶の障害と関連してくるが、この「離人・現実感喪失障害」はその記憶の連続性が保たれている。逆に言えばそこに健忘や人格の交代が伴っている場合には、別の解離性障害の診断が優先されるべきである可能性がある。
この離人・現実感喪失障害を論じるうえで重要なのは、解離を状態として捉えるか、現象として捉えるかという区別をすることである。解離を状態として捉える場合には、統合が失われている間に生じた状態とみることができる。ただしこれは、例えばDIDにみられるような、人格Aという状態と人格Bの状態を説明する際に不便である。DIDの場合には、二つの状態の間にスイッチングが起きるという現象ともみなすことができる。そう考えると、人格Aの状態にはそれなりのまとまりがあり、Bにもそれなりのまとまりがあるが、それが別れている、スイッチするという現象が解離である、ということができる。
なおこの離人・現実感喪失に関しては、その生物学的特徴がある程度得られている事も、この障害の独自性を支持していることになる。それは a. 後頭皮質感覚連合野の反応性の変化、 b. 前頭前野の活動高進、 c. 大脳辺縁系の抑制、である(5)。(ちなみにこれらの所見は、後に述べるPTSDの「解離サブタイプ」と基本的には重複する内容である。)
 また離人・現実感喪失についてはHPA軸(視床下部―下垂体-副腎皮質軸)の異常も見られるという。すなわちHPA軸の過敏反応(高いコルチゾールレベルと、フィードバックによる抑制の低下)のパターンを示すということだ (6)。(参考までにうつ病やPTSDは逆に鈍化したHPA軸の反応パターンを示すとされる。)このような研究結果から分かる通り、離人・現実感喪失障害がクローズアップされた背景には、この大脳生理学的な所見がみられることが大きく働いているようである。
解離性健忘、解離性遁走
解離性健忘を一つの独立した疾患として位置づけることにはそれなりの意味がある。上記の離人・現実感消失障害は、いわば解離的な現象が現在進行形で生じていることを表すが、解離性健忘は、解離現象の結果として生じる出来事と見なすことができる。すなわちある数分ないし数時間、場合によっては数日の間に起きていた解離の結果として、後になりその時のことを想起できないのである。しかし場合によっては健忘は、想起しようとしている時がまさに解離状態のただなかにある場合としても説明され得る。DIDにおいて、主人格の体験した過去の記憶を、人格Bの状態では想起できないとしたら、それは人格Bという解離状態であるため、ということもできる。その意味では、解離性健忘はむしろ「想起不能状態」と形容すべきものである。解離性健忘を起こしている人の場合、想起できないことを除いては問題がないことが多い。その人に問題なのは、過去の一定時間解離現象が生じたことであり、いわばその犠牲となっているものの、現在の精神状態そのものは異常性がないということになる。ただしもちろんこの状態は、心の機能のうち過去の記憶が統合されていない、という意味では前出の解離モデルに当てはまることは当然である。ただしその状態の病理性ということを考える際にこの事情を抑えておくことは重要である。
解離性健忘はそれがそれ以外の健忘状態と区別されるべきであることは言うまでもなく、健忘された期間も正常に海馬が機能していることが前提条件となる。そのためその間の出来事が情緒的に十分なインパクトを持っている場合には、大脳皮質のどこかに長期記憶として保存されているものの、そこにアクセスできない状態になっている。ただしその間に本人が体験したであろう出来事の想起不能が、解離以外の理由によるものかどうかが不明なままである可能性もある。頭部外傷を伴っていた場合、飲酒や薬物の影響下にある場合などは特に区別がつきにくい。更には情緒的な体験が強烈な場合にも海馬そのものがそのために抑制され、そのためにエピソード記憶が成立していない場合もある。PTSDなどのフラッシュバックはその種の記憶と考えることができる。そしてそのような機序で過去の出来事を想起できない場合を解離性健忘と厳密に区別する根拠もあまりないであろう。
解離性健忘は健忘された内容がどのようなきっかけで想起されるか、あるいははたして想起することが可能なのかという点が臨床上しばしば問題になる。あるケースは数日以内に思い出し、別のケースは3年かかる、さらに別のケースは10年以上たっても思い出せないということが生じる。健忘の生じる内容は、過去の一定期間であったり、遁走の生じた数日間であったりする。ただしいずれも手続き記憶は保存されているのが通常である。
なお解離性遁走は DSM-IVまでは独立した障害として解離性障害の中に掲げられていたが、DSM-5 では心因性健忘のサブタイプとして分類されることになった。それに伴ってその定義も、「突然の予期しない、自宅ないし職場からの旅立ち」 から「一見目的を持った旅立ちやあてのない放浪」という、より具体的な表現にかわっている。DF はその表れ方が突然で、しかも周囲に大きな混乱を巻き起こすために臨床上問題となることが多い。ただしその多くは単回性であり、失われた記憶が最終的に回復するかは症例により大きく異なる。
ところでDSM-5 における DF の解離性健忘のサブタイプへの「格下げ」については、遁走の主症状が目的もなく旅をすることよりはむしろ健忘そのものであるということ、新しいアイデンティティを獲得することや混乱したままでの遁走などは常に存在するとは限らないことがその根拠とされる22)
 筆者の日本での経験からは、DF は男性に特に多く見られ、その一部は DID と重複している可能性があるものの、基本的にはそれとは大きく性質を異にしている。患者の多くは必ずしも明白な幼少時のトラウマを伴わず、遁走中の人格状態もDID のそれのように精緻化されていない傾向にあるため、その人格状態を臨床的に取り扱うことは出来ないことが多い。
トランス障害
トランス障害は、DSM-5ICD-11試案に新たに登場した障害である。解離性トランス状態とは、直接接している環境に対する認識の急性の狭窄化または完全な欠損によって特徴づけられ,環境刺激への著明な無反応性または無感覚として現れる。無反応性には,軽微な常同的行動(:指運動)を伴うことがあるが,一過性の麻痺または意識消失と同様に,これにその人は気づかず,および/または制御することもできない。
この文脈でしばしば論じられるのが、いわゆる憑依 possession である。悪魔に取り付かれているなどの状態では、その世界に没入し、周囲とのコンタクトが取れないという特徴が見られる。ある研究は悪魔に取り付かれたという症状を訴える人々の症状が、DIDと多くの点で共通するとする。Ferracuti S, Sacco R, Lazzari R. Dissociative trance disorder: clinical and Rorschach findings in ten persons reporting demon possession and treated by exorcism. J Pers Assess. 1996 Jun;66(3):525-39.
多くのDIDを扱った経験からは、DIDの場合にもこのトランス状態に近い様子を見ることがある。通常何度も出てなじみになっている人格とは異なり、目が据わり、呼びかけにも応じず、最小限の、または中途半端な応答しか交わさない。表情はうつろで視点は定まったままである。このような状態は、交代人格の出現というよりは、それとは別の解離状態、そこに生物学的な原因を強く疑うような状態である。通常は短時間だが長く続く。始まりも終わりも比較的急であるところが、解離的である。当人はそのときのことを覚えていないか、あるいはぼんやりと記憶していることもある。クラインレビン症候群を最近テレビで見たが、起きている間も朦朧とし、衝動的になる。再び眠りに付き、起きると普通に戻り、記憶がない。