来年のGWに「アジアにおけるエディプス」というテーマで何か話をしなくてはならなくなった。つまり日本におけるエディプスである。他に中国や韓国からも同じテーマ(エディプス)で話をする人がいるというわけだ。しかしこれは非常に難しいテーマだ。このブログでひとりブラインストーミングをする必要がある。例によって最初はエディプスというテーマのことをあえて考えずに日本文化について考えてみる。許し、とか care taking
とかいう鍵概念が浮かぶ。恥、もあるな。生産性、ということの裏面としての過労死もある。集団における圧力、これは韓国社会の方が厳しいかもしれない。羨望や嫉妬、という概念も浮かぶ。しかしやはり日本らしさは許し、と結びついている気がする。ここら辺から入っていくか。
他方、到達点としてのエディプス。これも覗き見しておこう。禁止というタームから、見るなの禁止が思い浮かぶ。禁を破った時の懲罰に代わる許しの文脈。でもそもそも日本人はそんなに「許し」が好きなのだろうか? ここらへんになってくると結局フランスとアメリカで暮らした時の実感というのが最終的にとても大きな意味を持ってくる。欧米で日常生活を送るうえで感じた様々なことが最後にはよりどころになる。
しかしできるかな。いろいろな話が舞い込んできて訳が分からなくなってきた。
しかしできるかな。いろいろな話が舞い込んできて訳が分からなくなってきた。