2016年12月29日木曜日

自己開示ってナンボのものだろう? 3

ここで自己愛と自己開示の関係を簡単にまとめて見たい。人は「自己愛的な人は自己開示をしたがる」、という風に単純に決め付けてしまうところがある。しかし典型的な自己愛者のあり方は、「自分が自慢したり披露したりしたいことは話す。恥に感じていることについては決して言わず、それについて問われることに不快感を示す。」 である。つまり自慢話をする一方では余計な質問を許さない。かのハインツコフートもその路線であったという。学会などで出会った人との会食では豊富な知識量を披瀝して話を独占する傾向がある一方では、特定の事柄についての自己開示を回避する傾向にあったとされる。(ストロージャーによる伝記。)つまりはその人のモノローグになってしまうのだ。そしてそのような人は、クライエントと同席して、自分が実はクライエントと同じ人間であるということすら恥の感覚を持つらしい。そのような治療者は例えばこんな質問を患者から受けても立腹する可能性がある。
「先生も人間としての悩みをお持ちですか?」 

自分が患者を援助する立場にある、というだけでなく無意識的に自分は患者より優れている、上の立場にいるという気持ちを持つ場合には、この質問を非常に侵入的で攻撃的にすら感じるだろう。「この患者は自分の問題を扱われることを回避して、私を同じようなレベルに引き摺り下ろそうとしているのではないか?」「この患者は明らかに治療に対する抵抗を示している。」 でも患者は目の前の治療者が自分とは異なる超人的な人間であり、自分のような人間的な悩みは持っていないというファンタジーと一生懸命戦っていて、フトこのような疑問が出ただけかもしれないであろう。創、この種の自己開示にどれだけ抵抗を示すかが、その治療者がいかに自己愛的なスタンスをもっているかの明確な指標となるのである。